2012年3月31日土曜日

原書でフランス語

K先生を知るキーワードのひとつに、ミステリー小説があります。  

そういえば、日仏のK石先生も、「ミステリーを読む」と言っていました。「フランス語の読解力を上げたい人は、フランス語のミステリー小説を読むといい。ワクワクして次の文章が読みたくなるからね」と。    
 
フランス語学者とミステリー小説という組み合わせのミステリー。ま、それはいつか謎ときするとして。    
 
怖いのが苦手でミステリーは読めない…でも、ワクワクしながらフランス語の小説を原書で読んでみたい! そんな方への、原書デビューのオススメはズバリ!

 カミュ『異邦人』です。

  
 日本語訳にはない美しい文章に眩暈がしました。
 
原書で読みながら、その日に読んだ段落の日本語訳を眺めるのも楽しいです。うっかり日本語訳で読み進めてしまっても、原書の素晴らしさに感動します。 『異邦人』の原書「L'Étranger」は、Amazonでも買えます。


久しぶりにまた読んでみようかなあ、感受、感謝!

2012年3月30日金曜日

être en nage!

ふんわりとした布団にくるまり、大好きな本を読む時に幸せを感じることもあるけれど、やっぱり、毎日をもっと泳ぎたい。 Le Mot du Jour : nage La nage, c’est la manière de nager. Aux Jeux olympiques, il existe quatre types de nage : le papillon, le dos, la brasse(←bras) et la nage libre. Les nageurs choisissent souvent le crawl pour l'épreuve de nage libre car c'est la nage la plus rapide. Le mot « nage » est aussi utilisé pour parler d’un effort : « être en nage », veut dire être couvert de sueur, transpirer汗をかく. (http://1jour1actu.com/sport/quels-sont-les-secrets-des-grands-nageurs/)

2012年3月29日木曜日

深海からun tweet 


ジェームズ・キャメロン(James Cameron, 1954- )は、カナダ出身の映画監督。左利き。   
   
   
un tweet。外国語なので男性名詞なのですね。

Le réalisateur en a aussi profité pour tourner un film en 3D que tu pourras voir au cinéma. En arrivant au fond, il a envoyé un tweet (c’est notre mot du jour de demain) pour dire qu’il lui tardait de partager ce qu’il était en train de voir.

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Le Mot du Jour : abysse
深海 m
形容詞はabyssal,ale

Abyssus Abyssum invocat
(ラテン語)
奈落は奈落を呼ぶ

Le mot « abysse » vient du grec « abussos » qui veut dire « sans fond ». Il désigne les régions les plus profondes des mers et des océans. Certains abysses peuvent dépasser 10 000 mètres. Les créatures qui y vivent sont lumineuses, possèdent des yeux immenses ou un odorat嗅覚 très puissant. En effet, à cette profondeur, c'est l'obscurité totale. La vie des plantes et des animaux est très difficile.
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記事の見出しはこちら。

Prêts pour une plongée dans les abysses ?
Le mot du jour: abysse
Mission accomplie ! James Cameron est devenu le premier homme à descendre en solitaire tout au fond de l’océan Pacifique, dans la fosse海溝 des Mariannes. À bord du sous-marin « Deepsea Challenger », le réalisateur de « Titanic » et d'« Avatar» a exploré le monde mystérieux des abysses (voir mot du jour). Fantastique !

フランス語のテストの問題で、「文章を読んで、見出しをつけなさい」というのがあります。

難しくて、でも、楽しい、究極の読解問題だなあ、と思うのです。

RD生誕100年

おっと、忘れるところでした。
  


生誕100年記念写真展 ロベール・ドアノー
@東京都写真美術館
会 期: 2012年3月24日 ( 土 ) ~ 5月13日 ( 日 )
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は開館し、翌火曜日休館)

ロベール・ドアノーは、生来の自由な精神と類まれな洞察力で日常の小さなドラマをとらえ、"ドアノー劇場"とでもいうべき独自の世界によって写真史上に大きな足跡を残しました。稀代の演出家ともいえるドアノーが作り出した軽妙洒脱な人間ドラマは、忌憚のない人間賛歌として見るものを幸福感に満ちた世界へいざない、時代を超えて多くの人々に愛され続けています。人間に対する際限のない愛情と好奇心が生み出す忍耐と視線、写真表現に対する飽くなき実験精神。作品のどれもが、"写真の世紀"ともいわれた20世紀を見事に反映しています。

http://syabi.com/upload/3/1545/robert.pdf

2012年3月27日火曜日

浪費家と踊り場

Charles Cottet, 1903. Femmes de Plougastel avec leur panier-repas.

雑貨の旅番組でpanierを観ながら、
そういえば、「ざる勘定」はフランス語で何だろう。
とぼんやり考えていた訳です。

Panier percé 「浪費家」(←穴のあいたかご)
「ざる勘定」ではないですが、似たような匂いを感じます。

で、panier パニエと一緒におぼえると便利?な単語が、
palier 「階段の)踊り場」。パリエ。

あと、昨日は、柳のかごが登場しましたが、
「柳」はフランス語で、 何と言うか教えて欲しいなあっておぼえると便利です。

「柳」はフランス語でosierオズィエ

もう、教えて(おずぃえて)もらわなくてもOKです。

感受、感謝!

2012年3月26日月曜日

「セザンヌ―パリとプロヴァンス」展


「セザンヌ―パリとプロヴァンス」展
国立新美術館で

2012年3月28日(水)から6月11日(月)まで開催されます。

公式サイト: http://cezanne.exhn.jp/



りんごとオレンジ(Pommes et oranges)
1899年頃 油彩、カンヴァス
74.0×93.0cm 
オルセー美術館

Nature-morte aux pommes et aux oranges
(1895-1900. Musée d'Orsay)


「りんごとオレンジ」齧りに行こうかなあ。
感受、感謝!

2012年3月24日土曜日

フランス語を学ぶサイト

春はうららかで勉強もはかどります。

ここでひとつ、フランス語の文法をしっかり、
問題をたくさん解きながら勉強したい!

そんな方にオススメなフランス語学習サイトが、

    
フランス語のサイト(無料)です。
左のメニューから「▼Grammaire」をポチっと。
苦手な文法を選びます。
「ノートのマーク」は文法の解説。
「鉛筆のマーク」がついているものが練習問題です。

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日仏の授業でG先生はプリントに使用していましたし、ナミパリのテキストにもこのサイトの問題を引用しています。

文法はこのサイトでけっこう鍛えられます。
今日は復習で訪れました。

春はうららかで勉強もはかどります。
感受、感謝。

2012年3月23日金曜日

写真 きむら 02 パリ祭


Ihei KIMURA
Kimura Ihei in Paris: Photographs, 1954-55
14 July, 2006
Published by The Asahi Shimbun

今日は、p170-171
パリ、メニルモンタンのパリ祭




ぷち関連。ハーとの花火、可愛いですね!
この「左右対称」+αという美。

2012年3月22日木曜日

写真 きむら 01 職人町

さて、やっと図書館の順番がまわってきました。


Ihei KIMURA
Kimura Ihei in Paris: Photographs, 1954-55
14 July, 2006
Published by The Asahi Shimbun

今日の一枚は、



p.10-11 パリ、メニルモンタン

この曲を聴きながら、旅をしましょう。(名曲!)
Charles Trenet - Menilmontant


Ménilmontant mais oui madame
C’est là que j’ai laissé mon cœur
C’est là que je viens retrouver mon âme
Toute ma flamme
Tout mon bonheur...
Quand je revois ma petite église
Où les mariages allaient gaiement
Quand je revois ma vieille maison grise
Où même la brise
Parle d’antan
Elles me racontent
Comme autrefois
De jolis contes
Beaux jours passés je vous revois
Un rendez-vous
Une musique
Des yeux rêveurs tout un roman
Tout un roman d’amour poétique et pathétique
Ménilmontant!
.....

古来、メニルモンタンはベルヴィルという独立したコミューヌ(自治体)の中の村落であったが、1860年に他の郊外のコミューヌと同様パリ市に編入された。メニルモンタンの地名は「悪天候な家」、「悪天候な集落」を意味するMesnil Mautempsから来ている。おそらくはパリを見下ろす丘の上にあったため、または当地に登る急な坂道(現rue de Ménilmontant)ゆえに、Mautempsは16世紀に「上にある」という意味のMontantへ転訛した。
1224年から記録に残り(Emmanuel Jacomin他著『Belleville』などによる)、ベルヴィルの山の斜面の豊富なブドウ畑から採れるブドウを搾る圧搾機をもった集落として知られた。wiki


このあたりは、K先生がたしか…と思って検索すると…
やはり、2010年の寒い夏に歩いてますね。

「昨日はメニルモンタンからベルヴィルを経てレピュブリックまで歩き、
モスク横のラ・モスケで昼食。モロッコ・サラダ、美味。」
LA CLAIRIERE 2010年8月18日水曜日 雨は上がったけれど
http://tomo-524.blogspot.jp/2010/08/blog-post_18.html


おいしそうなつぶやきですね…。
K先生が歩いたルートはこんな感じ。

木村先生もきっとここを歩いたでしょう。
という無理やりな終わり方ですが… どろん!笑

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2012年3月20日火曜日

パンダでフランス語 02

パンダには2人のフランス人が関係しています。

まずは、キュヴィエ兄弟。

兄は、ジョルジュ・キュヴィエ。
フランスの博物学者。比較解剖学の大立て者であり、古生物学にも大きな足跡を残しました。
(1769年8月23日 - 1832年5月13日 Baron Georges Léopold Chrétien Frédéric Dagobert Cuvier)


弟は、フレデリック・キュヴィエ。動物学者です。
(Frédéric Cuvier 1773年6月28日 - 1838年7月24日)


その弟のフレデリックは、レッサーパンダに「炎の色の猫」という意味のラテン語"Ailurus fulgens" という学名を付けました。
Le nom scientifique Ailurus est une latinisation du grec ancien ailuros, désignant le chat et signifiant littéralement « balance-queue » (aiol + ouros). Quant à fulgens, il signifie éclatant, brillant (comme un éclair).wiki


そして、ジャンアント・パンダの学名はAiluropoda melanoleucaアイルロポダ・メラノレウカです。
Ailuropoda melanoleuca (« pied-de-chat noir et blanc »).Le nom latin scientifique du panda géant est Ailuropoda melanoleuca, melanoleuca signifiant « noir-blanc ».wiki

このジャンアント・パンダの学名は、パンダ関連のフランス人、2人目、フランス人のダビット神父です。1869年に中国で白と黒の毛皮を発見しました。あと、詳しくはwebで。笑

Armand David, né le 27 septembre 1826 à Espelette près de Bayonne et mort à Paris le 10 novembre 1900, est un missionnaire lazariste français, zoologiste et botaniste éminent.wiki

Les expéditions du père David

それまでもパンダを見た人はいくらでもいるのです。でも、見ただけじゃ発見できないわけですね。
感受感謝。

2012年3月18日日曜日

パンダでフランス語 01

せっかくなので、「パンダがやって来た(やーやーやー!)」のはじまりから。



Huan Huan(ファン・ ファン)とYuan Zi (ユアン・ジ)到着の様子。
編集も、音楽も凝っていて、なかなか楽しいです。
子どもたちを意識しているのか、話すスピードもゆっくりで、ちょうどいいです。
     
Le long voyage qui achemine Huan Huan et Yuan Zi de Chine jusqu’en France a requis une préparation minutieuse, à laquelle ont conjointement participé les équipes de Beauval et de FedEx, leader mondial du transport express international.

Ce dimanche 15 janvier, les deux pandas ont atterri à l’aéroport Roissy-Charles de Gaulle, où l’on s’affairait, très tôt ce matin, aux derniers préparatifs de ce grand moment. Ils sont attendus cet après-midi même au ZooParc de Beauval, à Saint-Aignan-sur-Cher…

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・atterrir 到着する<=>décoller / atterrisage m.<=> décollage m.
(移動する動詞っぽいですが、性数一致ナシですね。なるほどー)
・a requis/ requérir  必要とする
・une préparation minutieuse (minutieux,minutieuse 綿密な)
・s’affairer せっせと働く、せわしなく動く

きーわーも:
Huan Huan et Yuan Zi
dimanche 15 janvier
ZooParc de Beauval
les deux pandas ont atterri à l’aéroport Roissy-Charles de Gaulle



いやあ、フランス語の勉強にもやる気がでますね。(←単純)
感受、感謝!

2012年3月17日土曜日

パンダでフランス語 00

というわけで。
以前から注目していた、フランスのボーバル動物園にパンダがやって来た、(やーやーやー)の続編です。

いつの間に(!)パンダ特設サイトか出来ていました。

かわいいなあ。


Les pandas Huan Huan et Yuan Zi sont arrivés...
Un évènement national !

Notre couple de pandas a parfaitement pris possession de son nouvel environnement et a rencontré les visiteurs de Beauval pour la première fois samedi 18 février ! Découvrez-en davantage sur pandas.zoobeauval.com.

ココです。
pandas.zoobeauval.com

Yuan Zi (ユアン・ジ)
Huan Huan(ファン・ ファン)

です。せっかくですので、とても可愛い動画も…と思いましたが、携帯からだと上手くできないので、また後ほど~

写真 RD 03 日曜日の朝


Sunday morning in Arcueil
Robert Doisneau 1945

© Estate of Robert Doisneau

植田先生+奥行き感。
後でプリントして計算してみよう。

2012年3月16日金曜日

写真 RD 02 パリのキス

Le Baiser de l'hôtel de ville,
Kiss by the Hotel de Ville
「パリ市庁舎前のキス」1950

Le Baiser de l'hôtel de ville est une célèbre photographie en noir et blanc du photographe français Robert Doisneau. Prise en 1950 à proximité de l'hôtel de ville de Paris, elle représente un homme et une femme qui s'embrassent tout en marchant sur un trottoir encombré de passants, devant une terrasse de café. Il s'agit d'une scène posée réalisée dans le cadre d'un travail de l'auteur pour le magazine Life avec la complicité des deux protagonistes, étudiants en théâtre, Françoise Bornet et son petit ami Jacques Carteaud1. Ces derniers, dont l'identité fut longtemps inconnue, y compris de l'auteur lui-même, se séparèrent par la suite1. Cette photographie est devenue particulièrement célèbre avec la commercialisation, en 1986, de 410 000 exemplaires d’un tirage en format poster, un record mondia


パリ市庁舎とは。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d3/H%C3%B4tel_de_ville_de_Paris_%28panoramique%29.jpg/800px-H%C3%B4tel_de_ville_de_Paris_%28panoramique%29.jpg


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2012年3月14日水曜日

写真 RD 01 半過去

"C'est toujours à l'imparfait de l'objectif que tu conjugues le verbe photographier" Jacques Prévert.

「きみが《写真を撮る》って動詞を活用するときは、いつだってレンズの半過去でなんだ」ジャック・プレヴェール 堀江敏幸 訳

この名文ではじまる本。



「不完全なレンズで―回想と肖像」ロベール ドアノー, 堀江 敏幸 訳
出版社: 月曜社
発売日: 2010/9/20

今回は、
ロベール・ドアノー(Robert Doisneau, 1912年4月14日-1994年4月1日)は、フランスの写真家である。主として報道写真やファッション写真の分野で活躍。ロベール・ドワノーと記載されることもある。欧米での展覧会多数。wiki

2012年3月13日火曜日

写真 HCB 07 黄金分割

p.42
「大勢の批評家が構成図をあてはめて証明しているように、彼の写真の構図は完全に黄金分割の法則に従っているのである」



学び多いHCB連載の最後に、
「決定的瞬間」の序文からHCBの名言をいくつか

 
「被写体との関連でカメラを空間のなかに位置づけなければならず、そこから構図という大きな領域がはじまる」

 
「われわれの目は、たえず測定し、評価しなければならない」

 
「写真の上に、平均比やそのほかの図形をかいてみると良い」
 
 
「黄金比率の関係を適用するための写真家のコンパスは、自分自身の目の中にしかない」

 
 


(http://www.henricartierbresson.org/)
   
他人の言葉に惑わされて構図を忘れようとしていた自分を反省しつつ、フォームを変えて寄り道したことで得たものもたくさんある。やっぱり、構図はキッチキチの真面目な美を追求したいなあ。感受、感謝。

2012年3月12日月曜日

感謝 メビウス




Jean Henri Gaston Giraud, né le 8 mai 1938 à Nogent-sur-Marne et mort le 10 mars 20121 à Paris2, est un dessinateur et scénariste français de bande dessinée, connu sous son propre nom mais également sous les pseudonymes de Mœbius et Gir.

ジャン・アンリ・ガストン・ジローは、1938年にパリ郊外のノジャン=シュル=マルヌで生まれた。16歳の時、ジローはArts Appliqués(応用美術)の独習を開始した。18歳の時に、ジローの漫画作品『Frank et Jeremie』が『Far West』誌に掲載された。1961年に、ジローは当時のヨーロッパを代表する漫画家であったジジェの許に弟子入りし、『Jerry Spring』の制作に加わった。

1962年にジローは原作者のジャン・ミシェル・シャルリエと共に、『Pilote』誌で『Fort Navajo』の連載を開始した。この作品は大きな成功を収め、1974年まで中断されることなく続いた。ジローとシャルリエにより『Fort Navajo』で登場したブルーベリー中尉はたちまち人気キャラクターとなり、ブルーベリー中尉が活躍するスピンオフ西部劇作品『Blueberry』はジローの生地フランスで最も知名度の高いジローの作品となった。フランスにおけるジローの名声は極めて高いものであり、彼を記念する郵便切手が発行されたほどであった。



ジローがSF作品と、ファンタジー作品のために用いているメビウス (Moebius) というペンネームは、1963年に生まれた。

1982年に、ジローはルネ・ラルー監督による、ステファン・ウルの原作小説に基づくSFアニメーション映画『時の支配者』 (原題: Les Maîtres du temps) にメビウスとして参加。公式にクレジットされてはいないが、同年のリドリー・スコット監督によるSF映画『ブレードランナー』にも主要キャラクターの衣装デザイナーとして参加している。

ジローと宮崎監督は互いのファンであり、長年の親交を保っている。宮崎監督はジローがメビウス名義で発表した『アルザック』から多大な影響を受けたと語っている。ジローは『風の谷のナウシカ』にちなんで、長女を Nausicaä と名付けている。

wiki


感謝、涙、感謝。

2012年3月11日日曜日

写真 HCB 06 幾何学

FRANCE. The Val de Marne 'departement'. Joinville-le-Pont, near Paris. 1938.

HCBという写真家が誕生したのはいつなのか。

HCBの友人マンディアルグは
「私は、現代のもっとも偉大な写真家が誕生するのを見た」p35
と、共に旅をした1933年のイタリア各地の旅を振り返っている。


*アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ(André Pieyre de Mandiargues, 1909年3月14日 - 1991年12月13日)は、フランスの作家。

撮影のために旅をするHCB。
1934年春、南米行きの船に乗り、メキシコに1年滞在。
1935年春、ニューヨークに到着。20年代にパリで知り合った友人たちに再会

友人たちの言葉から、当時のHCBの姿を垣間みることができる。
「瞬間写真をとりながら、長い散歩をして時間を過ごしていた」 NY p.40
「官能性と幻覚主義の奇妙な混合」 HCBの構図について p.41


そして、HCBの「構図」については、インタビューでHCB自身が答えている。

「聖書の福音書には『はじめに言葉があった』と書かれているが、
私にとっては『はじめに幾何学があった』のである」p41

このインタビューのタイトルは、哲学者プラトンの言葉を引用したもので、
「幾何学者でないものは、誰もここに立ち入るべからず」p41であった。


1952年に発売されたHCBの写真集 (装丁はマティス)
仏語原題 『Image à La Sauvette』 (邦題「逃げ去るイメージ」) 
英語の題 『The Decisive Moment』 (邦題「決定的瞬間」)

の序文、

「私にとって写真とは、現実のなかに面と線と色価のリズムを認識することである」 p.41


感受、感謝。

2012年3月9日金曜日

写真 HCB 05 アフリカ

 
1930年10月、HCBはロートの学校で2年学んだ後、

「ランボーやロートレアモンの詩集とサランドールの『黒人詞華集』を持って」p33 ルーアンを出発。

p34
「1931年か32年ごろ(略)私は波のなかを走る3人の黒人の少年を写したムンカッチの写真を見た。この写真が私に火をつけ、レンズを通して現実を見たいという気持ちに私をさせた、と言わなければならない」とルモンド紙のインタビューで答えています。

1年の滞在の後、病気で帰国。

ムンカッチの『タンガニーカ湖の波のなかを走る少年』の写真はHCBを魅了しました。

「私は突然、写真は永遠のものを瞬間にとどめることができることに気がついた」

「この写真には、非常な厳しさ、率直さ、生きる喜び、いまでも私を眩惑する驚異がある。形式の完璧さ、生命感、比類のない戦慄…」

アフリカから帰ると彼は、自分の絵画作品を破棄し、父親に告げます。

写真家になりたいと。

2012年3月8日木曜日

写真 HCB 04 ムンカッチ

iphoneからなので、軽めの更新です。

HCBの成分を調べていると、他の写真家につながります。

今朝は、マーチン・ムンカッチ。




ムンカーチ・マールトン, あるいはマーティン・ムンカッチ(Munkácsi Márton [ˈmunkɑːtʃi ˈmɑːrton], Martin Munkácsi, 1896年 - 1963年)は、ハンガリー出身のユダヤ系ハンガリー人の写真家。

出身地は現在ルーマニア領であるトランシルヴァニアのコロジュヴァール。ルーマニア語でその町はクルージュ=ナポカと呼ばれる。

ルーマニア語の響き、可愛いですね。クルージュ=ナポカ。

1930年代に、ファッション写真に報道写真的な感性(屋外での撮影、群集や動き、モデルの自然な表情など)を取り入れ、多くの斬新なファッション写真を発表した。


2012年3月6日火曜日

写真 HCB 03 ケルテス

「アメリカの友人を介して私が最初に見た写真は、アジェとケルテスの写真だった」P26

ということで、

もうひとりのキーワーペは、アンドレ・ケルテスさんです。

ケルテース・アンドル, アンドレ・ケルテス(Kertész Andor [ˈkɛrteːs ˈɒndor], André Kertész, 1894年7月2日 - 1985年9月28日)は、ハンガリー出身の写真家。本名(ハンガリー名)は姓を先に表記するケルテース・アンドルだが、日本ではフランス語からの紹介が多いために訳者によってフランス語風にアンドレ・ケルテスと表記される場合が多い。
ブダペストに生まれ、アメリカ合衆国のニューヨークで没した。戦間期に活躍した写真家に多いハンガリー出身者たちのうちでも特に重要なひとりである。


ケルテースは、すぐれた構図(画面構成)を持った、端正な写真作品を多く残した。 ディストーションという、歪んだ鏡像によるヌードのシリーズも残している。
彼のイメージは計算された構図とデザイン、そして軽妙な面白さに特徴がありました。どこにでもありそうな普通の風景が彼の手にかかると不思議な魅力を持ったアート作品になるwiki



同じくハンガリー出身の写真家モホリ=ナギと同様に、ケルテスもまたパターンや奥行きのある写真を好みました。



小型カメラの特性を活用した、ケルテス独自のすぐれた才能に加えて、彼の作品にはもうひとつ、見逃せない大きな特徴があります。それは決して技術的には容易に分析できない特徴ですが、間違いなく重要なポイントです。

それは人生の甘美な感覚であり、世界の美しさを子どものように自由な感性で楽しみ、視覚的に表現した点です。
アンドレ・ケルテスの写真は、ブラッサイやアンリ・カルティエ=ブレッソンなどの写真家にも多大な影響を与えています。

(http://www.atgetphotography.com/Japan/PhotographersJ/Kertesz.html)

いやあ、素晴らしい。

明日から、写真に失われた奥行きを求めに行ってきます。

感受、感謝!

写真 HCB 02 アジェ

『アンリ・カルティエ=ブレッソン―20世紀最大の写真家』
 (「知の再発見」双書) [単行本(ソフトカバー)]
クレマン・シェルー (著) 2009

今回はHCBが
A.パリで出会ったシュルレアリスト
B.写真を再発見した時
というお話です。
HCBが愛読 したロートの「肖像論」


P21

詩人アンドレ・ブルトンのもとに集まっているシュルレアリストたちの集まりに、ロート・アカデミーに通っていたHCBを連れていったのは、詩人のルネ・クルヴェルでした。


1924年、ブルトンは『シュルレアリスム宣言』を発表。若いHCBはロートの教え+シュルレアリストたちに影響を受け、1920年代末に数少ない絵を残しています。

「当時の彼の絵には、ロートを通じた形で、セザンヌの影響がはっきりと見てとれる」p22

HCBとセザンヌ。興味深い話題ですが、ざっくりと先を急ぎます。



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P24

1928ー29年、HCBはケンブリッジに留学。イギリスから帰国すると、兵役の為、パリの北に位置するル・ブールジェの空軍基地に配属となりました。

この時期に出会った上流階級出身のアメリカ人、クロスビー夫妻の家で、HCBはクルヴェルやブルトンと再会。そして、クロスビー夫妻の家でもう一組の夫婦とも友人になります。アマチュア写真家のパウエル夫妻です。

「アメリカの友人を介して私が最初に見た写真は、アジェとケルテスの写真だった」P26



ジャン=ウジェーヌ・アジェ(Jean-Eugène Atget, 1857年2月12日 - 1927年8月4日)はフランスの写真家。
フランス南西部のボルドーの近くの町リブルヌに生まれ、パリにて死去。
近代写真の父と呼ばれる。20世紀前後のパリの建築物,室内家具など失われる古きパリのイメージを撮影。wiki

 
P28 、P29に、そのアジェの影響を感じられる写真が比較掲載されているのですが、HCBの写真も、アジェの写真も素晴らしいです。今度のお休みにさっそく真似して撮影してみます。

ポルトラーノのイベントで、倉石先生が「数を撮ると確率が挙がる」という話をしていました。今も、目の前を秒速3mで「偶然」が飛び交っているのです。数を撮る。当たり前のようで、深い言葉だと思います。

感受、感謝。

2012年3月5日月曜日

写真 HCB 01 誕生

HCBを紐解く本はさまざまありますが…この本にします。
いつものようにザックリ読みますので、ザックリしている点はご了承下さいませ。

『アンリ・カルティエ=ブレッソン―20世紀最大の写真家
 (「知の再発見」双書) [単行本(ソフトカバー)]
クレマン・シェルー (著) 2009


この本は、2004年にHCBが95歳で世を去った後に紡がれた本です。
まずは、HCBの誕生から。

P18

HBCが生まれたのは1908年。パリ郊外のシャントルー=アン=ブリ。
Chanteloup-en-Brie


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母はノルマンディー出身。父は何世代も続く綿工業で成功を収めてきた一族で、カルティエ=ブレッソンという名前は縫糸、刺繍糸、編糸などで有名なブランドでした。

こちらでしょうか。
(http://www.thiriez.org/livres/cartierbres2009.htm)

幼い頃から芸術に親しみ、イギリス人家庭教師に英語を習うアンリ少年はデッサンが好きでした。ローマ賞を受賞した画家である叔父のルイ・カルティエ=ブレッソンのことを「架空の父」と呼ぶほど慕い、その叔父の影響で絵画の道へ進むことを考えていたようです。

しかし1915年、HCBが7歳の頃、その叔父が33歳で戦死。叔父の友人の画家やCB家と親しくしていた画家に手ほどきを受けました。


p19

1926年、18歳になったHCBはバカロレアの試験に何度も落ちたあと、画家アンドレ・ロート※が開いた絵画アカデミーに入学します。

画家ロートが何よりもこだわっていたのは構図でした。彼は「黄金比」や「全体の調和」について大切に教え、生徒たちは何度も幾何学的な構成図を形成する練習をしたそうです。

HCBはこのロート・アカデミーに2年しか通いませんでしたが、ロートが書いた「風景論」と「肖像論」を生涯愛読しました。

※アンドレ・ロート(André Lhote、1885年7月5日-1962年1月24日)は、フランスのキュビスム系統の画家。ピュトー・グループに属する。


ふむふむ。

p19に、ナダールの写真スタジオで撮影された16歳のHCBの素敵な肖像写真が載っています。HCBは1908生まれ、ナダールは1910年に亡くなりました。写真の歴史の交差点です。

次回は、シュルレアリストとHCBの関係に迫ります。

2012年3月4日日曜日

写真 HCB 00 序

さて、写真とパリのいろいろ始めます。

まずは、大好きな、フランスの写真家。

アンリ・カルティエ=ブレッソン
(Henri Cartier-Bresson 1908- 2004)


以下HCBと略します。まずはざっくりwikiから

アンリ・カルティエ=ブレッソンは1908年、フランスのセーヌ=エ=マルヌ県シャントルーの中流家庭に生まれた。両親は織物製造業を営んでいた。彼の写真術への関心は非常に若い頃から始まった。少年の頃カルティエ=ブレッソンはボックス・ブラウニーを所有し、休日にそれでスナップ写真を撮影した。1923年(15歳)頃にシュルレアリスムの影響を受け、1927 - 28年にはキュビズムの彫刻家アンドレ・ロートに師事した。当時は芸術的野心に燃える画家志望の一青年に過ぎなかった。wiki

「ボックス・ブラウニー」とは、コダックのカメラブランド、「ブローニー(Brownie)」のことで、
最初のブローニーカメラは1900年発売の「ブローニーNo.1」であり、117フィルムを使用する。日本に紹介された最初のブローニーカメラが120フィルムを使用するものだったため、現代日本でブローニーフィルムという用語は120フィルムを指すのが通常であるが、これは和製英語である。wiki
ふむふむ。120フィルムをブローニーとよぶのはここから来ているのですね。


1935年から1939年にはポール・ストランド(Paul Strand1890–1976)やジャン・ルノワール(Jean Renoir)らの助手として映画の仕事にも携わっている。wiki


ポール・ストランドとHCBの写真。ほほう。

 

そして、ジャン・ルノワールといえば、お父様の絵を映像化したような映画『ピクニック』ですね。


ピクニック Partie de campagne (1936年)

Sur la balançoire, (1876),parAuguste Renoir, Musée d'Orsay, Paris


明日からはHCBの本を読み解きます。

2012年3月2日金曜日

"The Artist"

今日のキーワーモは、
トシャアトリタクネエナア!
もしくは、
忘れる時も、前のめりで!

さて。
仕事に没頭している間に、
あの映画が話題でした。

Pourquoi The Artist est-il la star de la semaine ?
   
Le mot du jour : cocorico

Des scènes muettes, des images en noir et blanc… Tu as peut-être entendu parler de The Artist, ce curieux film français avec, comme acteurs principaux, Jean Dujardin et Bérénice Bejo. Son scénario raconte les débuts de l’histoire du cinéma aux États-Unis ! Ce film muet a remporté, cette nuit, cinq récompenses aux Oscars, récompenses qui sont décernées chaque année à Hollywood aux États-Unis. C’est le cocorico du jour !

きーわーも
- film muet 
- en noir et blanc
- cinq récompenses aux Oscars
- Cinq Oscars
- premier acteur français "oscarisé


Le Mot du Jour : cocorico
« Cocorico » est une onomatopée. C’est un mot qui imite le cri du coq. Le coq est l’un des emblèmes de la France depuis l'époque des Gaulois . L’emploi du mot « cocorico ! » est familier, il exprime une victoire française. Dans notre cas, The Artist est un cocorico pour le cinéma français à l’étranger ! Mais ce terme est à double sens car il exprime l’idée que les Français seraient les plus forts du monde ! Il est donc préférable de l’utiliser avec un peu d’humour.
(http://www.lesclesjunior.com/)
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Cinq Oscars pour "The Artist", c'est du jamais vu pour un film français ! L'histoire et le charme rétro de ce film muet, en noir et blanc, a séduit les Américains, qui ont récompensé toute une équipe. A sa tête : Jean Dujardin, premier acteur français "oscarisé".
(http://www.jde.fr/article/le-sacre-de-the-artist---2397)

2012年3月1日木曜日

「ひかがみ」について

このままだと、3日後ぐらいに、
K先生の大学の研究室のポストに、

「ひかがみ」について の投書がわんさか届くといけないので、

K先生はすっかり忘れているようですので! 

(K先生にメールでこっそり教えてあげようとも思ったのですが、
責任を持ってもらうことにしました。(なんの?)笑)
   

参考図書を紹介しますと、

『フラ語ボキャブラ、単語王とはおこがましい!』

という本のP.72

「ひかがみ」がフランス語で何というか書いてあります!


(この場合、G先生にも正解をメールで伝えておいたほうがいいのでしょうか。
いや、やっぱり、責任を持ってもらうことにします。(なんの?)笑)

感受、感謝。