HCBを紐解く本はさまざまありますが…この本にします。
いつものようにザックリ読みますので、ザックリしている点はご了承下さいませ。
『アンリ・カルティエ=ブレッソン―20世紀最大の写真家』
(「知の再発見」双書) [単行本(ソフトカバー)]
クレマン・シェルー (著) 2009
この本は、2004年にHCBが95歳で世を去った後に紡がれた本です。
まずは、HCBの誕生から。
P18
HBCが生まれたのは1908年。パリ郊外のシャントルー=アン=ブリ。
Chanteloup-en-Brie
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母はノルマンディー出身。父は何世代も続く綿工業で成功を収めてきた一族で、カルティエ=ブレッソンという名前は縫糸、刺繍糸、編糸などで有名なブランドでした。
こちらでしょうか。
(http://www.thiriez.org/livres/cartierbres2009.htm)
幼い頃から芸術に親しみ、イギリス人家庭教師に英語を習うアンリ少年はデッサンが好きでした。ローマ賞を受賞した画家である叔父のルイ・カルティエ=ブレッソンのことを「架空の父」と呼ぶほど慕い、その叔父の影響で絵画の道へ進むことを考えていたようです。
しかし1915年、HCBが7歳の頃、その叔父が33歳で戦死。叔父の友人の画家やCB家と親しくしていた画家に手ほどきを受けました。
p19
1926年、18歳になったHCBはバカロレアの試験に何度も落ちたあと、画家アンドレ・ロート※が開いた絵画アカデミーに入学します。
画家ロートが何よりもこだわっていたのは構図でした。彼は「黄金比」や「全体の調和」について大切に教え、生徒たちは何度も幾何学的な構成図を形成する練習をしたそうです。
HCBはこのロート・アカデミーに2年しか通いませんでしたが、ロートが書いた「風景論」と「肖像論」を生涯愛読しました。
※アンドレ・ロート(André Lhote、1885年7月5日-1962年1月24日)は、フランスのキュビスム系統の画家。ピュトー・グループに属する。
ふむふむ。
p19に、ナダールの写真スタジオで撮影された16歳のHCBの素敵な肖像写真が載っています。HCBは1908生まれ、ナダールは1910年に亡くなりました。写真の歴史の交差点です。
次回は、シュルレアリストとHCBの関係に迫ります。