2012年9月29日土曜日

KUSAMA


「NHKスペシャル▽“水玉の女王”草間彌生の全力疾走」

をみました。

再放送は、10月3日(水)の深夜(4日・木曜午前)1:25からの予定です。

で、フランス語での紹介文


BOUTIQUE LOUIS VUITTON – YAYOI KUSAMA



Le public français la découvre en 2001, lors de sa première exposition parisienne à la Maison de la culture du Japon. Le Centre Pompidou à Paris lui consacre sa première rétrospective française du 11 octobre 2011 au 9 janvier 2012.

ふむふむ。最近ですね。

C’est sur cette folie des pois qu’elle collabore avec la Maison Louis Vuitton...

全文はこちら。写真も。

http://www.orgone-design.com/blog/boutique-louis-vuitton-yayoi-kusama/

生命の実ですよね。水玉って。

2012年9月28日金曜日

雨と雪FR


細田監督の映画「おおかみこどもの雨と雪」
フランス語で紹介されていますね。

Les enfants-loups, Ame & Yuki

L’histoire ? Hana et ses deux enfants, Ame et Yuki, vivent discrètement dans un coin tranquille de la ville. Leur vie est simple et joyeuse, mais ils cachent un secret : leur père est un homme-loup. Quand celui-ci disparaît brutalement, Hana décide de quitter la ville pour élever ses enfants à l’abri des regards. Ils emménagent dans un village proche d’une forêt luxuriante…

Notre avis ? La fable de Mamoru Hosoda sur le thème de la transmission familiale nous a transporté. A regarder d’urgence.

(http://www.milkmagazine.net/les-enfants-loups-ame-yuki/)

動画+フランス語字幕はこちらで


Les enfants loups Bande Annonce française (2012)

2012年9月26日水曜日

フランス語モード


iPhoneをフランス語モードにしていると、

フランス情報が優先して表示される点、

また、利用度の高い語彙も増えます。

10月からは、心も、フランス語モード。

TV ラジオ フランス語
このBlogで復習予定です。

そういえば、G先生も
口をすっぱく言っていました。

「予習する時間があったら、復習して下さい!」

はい!

2012年9月25日火曜日

18区:区役所のTV



パリ18区の、区役所のweb TV。
2011版ですが、18区の未来や今がまとまっていて
とてもよく分かります。


Film résumant les moments forts l’année 2011... par MAIRIEDEPARIS18

ふむふむ。

TVでフランス語/ラジオでフランス語 
10月もうすぐですね。ワクワク

2012年9月24日月曜日

18区:絵の中の風車




Moulin de la Galette
ムーラン ドゥ ラ ギャレット

ムーラン・ド・ラ・ギャレット(Moulin de la galette)は、フランスのモンマルトルに位置する、「ギャレットの風車」の名を持つダンスホールである。


・ナポレオンが没落した1814年に、モンマルトルの人々が外国軍に対して抵抗活動をするための本拠地であった。

・第二帝政時代に田舎造りのダンスホールに改造された。

・20世紀初期に改装工事が行われ、大ホールが建てられたため、当時の風車小屋の名残をとどめているのは入口のみである。

wiki





ゴッホによる絵画『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』
1886年 ベルリン新美術館所蔵

10月から真面目に勉強するブログになるかもしれません。

2012年9月23日日曜日

18区:1958年の蚤の市

 
くりにゃんくーる。
Clignancourt
  
心惹かれるその名前。

「クリニャンクールの蚤の市」に行くには、
メトロ4号線の終着駅「Porte de Clignancourt」で降ります。


大きな地図で見る
 
蚤の市の写真は、詳しいブログがたくさんあるのですが、
ここがとてもいい感じです。
http://www.geocities.jp/kcc_newair/article08.htm

「クリニャンクールの蚤の市」と言われていますが、
サン・トゥアン市なので、
Marché aux puces de St-Ouen
「サン・トゥアンの蚤の市」と書かれているものも、
=「クリニャンクールの蚤の市」というわけです。


蚤の市は、フランス語で、
Le marché aux pucesといいます。
 

とても素敵な映像をみつけました。
1958年の蚤の市。St-Ouenの街の姿。
すこし昔のクリニャンクールは、こんな感じで、
Les Puces de st Ouen 1958


いいですねー。
あれは、焼き栗でしょうか?

大好きな50年代の映画の中のようです。
 
こちらは、ルイジロワールの描いた、
クリニャンクールの蚤の市。

Le marché aux puces, Porte de Clignancourt


こちらは1900年。
Un coin du marché aux puces de St-Ouen, porte de Clignancourt, sur l'avenue de la Porte de Clignancourt, avec au fond, les casernes Clignancourt, en 1900
(http://france.jeditoo.com/IleDeFrance/seinedenis.html)

うーん、行くのが楽しみです。

2012年9月22日土曜日

18区:洗濯船の姿

次にパリに行く時のために、予習の街歩き。

さて、18区。

忘れちゃいけないのが、
モンマルトルにあった長屋風のアパート

「洗濯船」(Le Bateau-Lavoir)。 
 Le Bateau-Lavoir est un immeuble situé dans le quartier Montmartre dans le 18e arrondissement de Paris. Il est principalement connu pour avoir été, depuis 1904, une cité d'artistes, lieu de résidence et de réunion de nombreux artistes peintres,

「洗濯船」という名前をつけたのは、詩人のマックス・ジャコブ
モディリアーニ作 _Ritratto_di_Max_Jacob_(1876-1944)
ピカソが恋人と一生に住んだり、モディリアーニも暮らし、アポリネール、ジャン・コクトー、アンリ・マティスも出入りしていた。
---
現在の「洗濯船」はこちら、

 で、当時はどんなだったのか
(http://eltempsperdut.blogspot.jp/2011/10/devorar.html)

かっこいいー。


洗濯船と名づけたのは詩人のマックス・ジャコブ。細長い長屋風な建物で、歩くとギシギシ音がして、セーヌ川に浮かんでいる洗濯用の船とそっくりであることから名づけられたらしい。wiki
そもそも、洗濯用の船というのは、こちらですかね。


(http://www.cpa-bastille91.com/cartes-postales/seine/)

そして、洗濯船については、このサイトがとても詳しいので
興味のある方はぜひ。

http://ecri.blog76.fc2.com/blog-entry-62.html

2012年9月19日水曜日

続・アーサーの城


ランチタイムに、昔の世界へ。

さて、キャメロット城の源泉がフランスにあるとは。
面白いです。


キャメロット(Camelot)は、アーサー王の王国、ログレスの都。アーサー王はこの地にキャメロット城を築き、多くの戦いに出陣したという。その正確な位置は失われ(または最初から実在せず)良く分かっていないが、おそらくローマ帝国による支配が終わった後のブリテン島にあったローマ系人の支配地域がフィクション化されたものだと思われる。
キャメロットという都の名が初めて現れたのは、フランスの吟遊詩人、クレティアン・ド・トロワ(Chrétien de Troyes)の詩『荷馬車の騎士ランスロット(Lancelot, le Chevalier de la Charrette)』からである。但しこの時点では、後のアーサー王物語におけるほど重要な役割を果たす土地としては描写されていなかった。wiki


吟遊詩人、クレティアン・ド・トロワ,
とは、

彼は1160年から1181年までの間、シャンパーニュ伯アンリ1世の夫人でフランス王ルイ7世とアリエノール・ダキテーヌの娘、マリー・ド・シャンパーニュのパトロネージを受けて宮廷に仕えた。

 
キャメロットの跡地だと言われている、コルチェスター城。



コルチェスターの位置。

コルチェスター(Colchester)はキャメロットの跡地なのではないかとしばしば指摘される。コルチェスターはローマ帝国によるイギリス支配の最初の拠点でイギリス最古の町であり、そのローマ名「Camulodunum」は先住民のケルト語名カムロドゥノン(Camulodunon、戦の神カムロスの町)から来ている、というのがその根拠である。wiki

もとは、アルザスから始まったのでした。寄り道はおしまい。
次回はパリに戻ります。

2012年9月18日火曜日

続・アーサーと「円卓」


まじめな話題。

未来のエネルギーについて。JDEの
フランスが言っていると気になるんですよね。
Quelles énergies utiliserons-nous demain ?
Comment allons-nous nous chauffer et obtenir de l’électricité dans les prochaines années ? Avec des centrales nucléaires ? Avec des éoliennes et des panneaux solaires ? En polluant un peu, beaucoup, énormément ? Voici quelques-unes des grandes questions qui ont été abordées ce week-end, à l’occasion d’une importante table ronde sur l’environnement. On t’explique ce qui a été décidé.

そして。気になる表現は「円卓」です。



円卓(えんたく、round table)とは、会議などに用いられる丸い、若しくは円形に並べられた机、またはテーブルのことである。
円卓は円の一様な形を利用して、会議の参加者同士が上座や下座といった席順による序列にこだわることなく、対等の関係で自由に発言できるような会議を行いたい場合に用いられることが多い。・・・

このようなアイディアは、アーサー王伝説でキャメロット城にあったアーサー王とその円卓の騎士たちのためのテーブルから由来したものだといわれる。 今日、円卓は国際会議ではしばしば使用され、・・・wiki

うむー気になりますね。
次回はその「キャメロット城」について探求します。

La Table ronde est, dans la légende arthurienne, la table légendaire autour de laquelle se réunissent le roi Arthur et ses chevaliers, dits « Chevaliers de la Table ronde ».


Le Mot du Jour : table ronde

C’est une réunion qui regroupe plusieurs personnes pour discuter, sur un pied d’égalité, de questions qui concernent tout le monde (par exemple, ici, l’environnement). Cette expression vient des mots latins « tabula » qui signifie « table » et « rotondus » qui signifie « rond ». En fait, le mot « la table ronde » vient d’une légende dont tu as peut-être entendu parler : « Les Chevaliers de la Table ronde ». Des chevaliers qui étaient au service du roi Arthur. Quand ils discutaient, ils se réunissaient autour d’une table de forme ronde. Le cercle symbolisait la fraternité et l’égalité entre ces hommes (alors que la plupart des tables à cette époque-là, au Moyen Age, étaient carrées).

(http://1jour1actu.com/planete/quelles-energies-utiliserons-nous-demain/)

2012年9月16日日曜日

18区:パンが美味しい?


急ぎの仕事があるので、軽めの更新。

今年、2012年の美味しいバゲットno.1に選ばれたのは
18区のパン屋さんでドアノーの写真にも登場しているそうです。

「Boulangerie MAUVIEUX(ブーランジェリー・モヴュー)」
The winner of the 2012 Grand Prix de la Baguette de Paris, i.e., the best baguette in Paris.
 
映像:15秒のCMの後。すこし重いですが、詳しいです。

読むなら:こちら、くわしい記事

場所は:こちら。

2012年9月15日土曜日

やっぱり、18区


次は、18区かなあと
ぼんやり思っているのです。
まずは、関連する映画から。

あのルノワールの次男、ジャン・ルノワール監督の映画。




フレンチ・カンカン』(French Cancan)は、1954年制作のフランス映画。
『フレンチ・カンカン』(French Cancan)は、1954年制作のフランス映画。1880年代のパリを舞台に、フレンチ・カンカンとムーラン・ルージュの誕生を描く。エディット・ピアフをはじめとして多くの歌手も出演している。 
French Cancan est un film franco-italien réalisé par Jean Renoir, sorti en 1954.
Danglard est le directeur d’une salle de spectacle à Montmartre, le Paravent Chinois. Sa maîtresse, une comédienne nommée la Belle Abbesse, en est la vedette. Pour attirer une clientèle de bourgeois, il décide de relancer une danse passée de mode, le cancan, et de faire construire un nouvel établissement, le Moulin Rouge.
Nini, une petite blanchisseuse, deviendra la nouvelle étoile grâce, notamment, aux sentiments du prince Alexandre.wiki

ジャン・ルノワール監督はパリ18区モンマルトル生まれなんですよね。

2012年9月14日金曜日

アンヌ・ル・ニ 監督 最新作


  
Qui est Anne Le Ny?

と思って何気なく検索すると・・・

アンヌ・ル・ニ 監督ふむふむ。
(『最強のふたり』にも出演している、女優でもある)
 
最新作は「Cornouaille」とあります。




Réalisation : Anne Le Ny
Scénario : Anne Le Ny et Luc Béraud
Production : Bruno Levy
Musique : François-Eudes Chanfrault
Montage : Guerric Catala
Photographie : Jean-Marc Fabre
Pays  France
Genre : Drame
Date de sortie :  France  Belgique 15 août 2012
  
主役のOdileを演じるのはフランスの歌手、ヴァネッサ・パラディ。
雑誌「marie claire9月号」で、ヴァネッサがこの新作映画について、語っているそうなので、

今度図書館で見かけたら読みたいと思います。
(この映画を見た方のブログ http://mqrplus.exblog.jp/17895144/)

高倉健さんが涙したことで話題の
モンとリール映画祭のワールド・グレイト部門 (Hors Concours/World Greats)にも
エントリーしていますね。

<あらすじ>をざっくり読むと、
おばさまの遺産である家を相続するためにブルターニュに行った主人公が
その家を(過去を)あっさり売ろうとしたところ、幼なじみと過去の自分に出会い・・・
というような話のようです。

Cornouaille
Un film de Anne Le Ny.
Avec Vanessa Paradis, Samuel Le Bihan, Jonathan Zaccai.
Sortie le 15 août 2012.

Synopsis :
Odile est une jeune femme indépendante et rationnelle à l'existence bien réglée. Pourtant, alors qu'elle prend possession de la maison de sa tante dont elle vient d'hériter en Bretagne, la réalité, petit à petit, commence à lui échapper... Est-ce l'endroit qui est hanté? La mémoire d'Odile qui, en se réveillant, lui joue des tours ? Ou bien Loïc, son prétendu "ami d'enfance retrouvé", qui l'entraîne vers d'étranges chemins ?
Dans les brouillards de cette Cornouaille mystérieuse, rien ne se passe comme Odile l'attendait...

インタビューもあります。
あとで、電車で読むことにします。
http://www.ugcdistribution.fr/film/cornouaille_199

ということで、最新作でした。

2012年9月13日木曜日

測量「最極のふたり」


 というわけで、

映画『最強のふたり』の文通相手が住む、北フランスの街、ダンケルク。




このダンケルクにある鐘楼↓で「メートル」の基準を決めるべく測量が行われました。
時は、フランス革命真っ只中。1792年〜1798年、測量の革命も起きていたわけですね。

まずは、ざっくりと「メートル」の始まりから。
  
万国共通にみんなでつかえる「ものさし」となる長さの基準が必要だ!
と言い始めたのは、フランス人でした。

1790年 フランスのタレーランが普遍的な物理量基準の必要性を提唱

シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール.Charles-Maurice de Talleyrand-Périgord.フランスのフランス革命から、第一帝政、復古王政、七月王政までの政治家で外交官である。

基本的な長さの単位を設定する為に、フランス科学アカデミーは「地球の子午線」、
「パリを通過する北極点と赤道をつなぐ子午線長」を利用することを思いつきます。
そこで、北と南にふたりの科学者を派遣することにしました。

ダンケルクの鐘楼。ドランブルが行った測定の北限。

バルセロナのムンジュイックの丘にある要塞。メシャンが行った測定の南限。
 
パリを起点に、北のダンケルクへはドランブル
南のスペインのバルセロナへはメシャンが向かいました。

測量界の「最極のふたり」です。笑


ジャン=バティスト・ジョゼフ・ドランブル(Jean-Baptiste Joseph Delambre、1749年9月19日 – 1822年8月19日)はフランスの数学者、天文学者。メートルの基準をきめるための測量を行った1人である。
1792年から1799年の間、ピエール・メシャンとともに、ダンケルクからバルセロナの間の子午線弧長の測量を行った。1801年、科学アカデミー数学部門の終身書記に任じられ、生涯その職を務めた。1807年、コレージュ・ド・フランスの天文学教授に任じられ、パリ天文台の台長に任じられた。
Jean-Baptiste Joseph Delambre, né à Amiens le 19 septembre 1749 et mort à Paris le 19 août 1822, est un astronome et mathématicien français.
→http://fr.wikipedia.org/wiki/Jean-Baptiste_Joseph_Delambre

ピエール・フランソワ・アンドレ・メシャン(Pierre François André Méchain, 1744年8月16日 - 1804年9月20日)は、フランスの天文学者。生涯で7個の彗星を発見した。
フランス科学アカデミー正員。シャルル・メシエの助手を務めた後に1800年よりパリ天文台長。
Pierre François André Méchain, né à Laon le 16 août 1744 et mort à Castellón de la Plana (Espagne) le 20 septembre 1804, est un astronome français. wiki
→http://fr.wikipedia.org/wiki/Pierre_M%C3%A9chain

その後のメートルについてはこちら
→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB

2012年9月12日水曜日

映画『最強のふたり』

 
映画『最強のふたり』 - オリジナル予告編 (日本語字幕)
 実在の人物である Philippe Pozzo di Borgoさんの原作本
日本のアマゾンでも購入できますね。
「Le Second Souffle」
この映画は、実在の人物である Philippe Pozzo di Borgo とその介護人 Abdel Yasmin Sellou をモデルにしている。Philippe は、1951年生まれで、1993年に事故で頸髄損傷となり、2001年に自身のことや介護人 Abdel とのことを書いた本 Le Second Souffle を出版した。wiki
文通相手の住む街は、北フランス、ダンケルク。
・フランス本土最北端、ベルギー国境から10キロの地点に位置し、ル・アーブルとマルセイユに次ぐフランス第3の港湾都市である。 
・ダンケルクという名は、現地の方言で「砂丘の教会」(Dun+kerke{que}, Dunは英語のDune、kerqueは英語のchurchにあたる)を意味する。wiki

実は、このダンケルクという街は「メートル」という単位が生まれた舞台でもあるのです。 が話が長くなりそうなので、つづきは明日!

2012年9月11日火曜日

5区:歩くパンテオン広場

さて、そろそろ5区からもっと世界へ。
という感じで、歩くパンテオン広場の写真を。
   次はどこへ行こうかな。感受、感謝。

5区:2ドゥニエ橋


5区からシテ島へかかる橋のひとつに、
なんの変哲もない橋にみえる「ドゥブル橋」があります。

名前が何故、ドゥブル?かというと、

かつて、橋を渡るのに「2ドゥニエ」必要だったことからその名がついています。

ドゥニエ?とは?

「ドゥニエ」とはフランス革命以前に使用されていたフランスの貨幣です。
そのドゥニエのもととなる貨幣は、共和政ローマ時代紀元前211年から造幣された

「デナリウス」です。



1971年までイギリスのペニーの略記として "d" が使われていたのもデナリウス貨に由来し、フランスではデニール (denier) =ドゥニエになりました。

ふむふむ。

フランスの貨幣の歴史ってちょっと複雑なんですよね。
以下wikiより抜粋。

・1266年ルイ9世の時代に発行された金貨の「エキュ」。
・1360年に当時の国王ジャン2世が作った金貨が「フラン」

écu de Louis XII


・1640年、ルイ13世時代に、3リーヴル・トゥルヌワ(Tournoise ポンド)の価値を持つ大型銀貨が発行された。エキュとは盾という意味で、紋章の盾がデザインされていることに由来する。

ルイ13世時代のエキュ。



・1641年、ルイ13世はフランの発行を止め、新たに銀貨「エキュ」(Écu) と金貨「ルイ・ドール」(Louis d'Or) を作るが、「フラン」の名称はトゥールポンドの別称としてそのまま使われ続けた。当時のフランスでは、国王が定めたエキュの他に、トゥールポンドや「リーブル」など、様々な貨幣が混在して流通していた。



・1726年に新しいエキュが発行され、6リーブル・トゥルヌワの価値に最終的に固定された。フランス革命によりエキュは姿を消したが、19世紀の間は、5フラン銀貨がエキュと呼ばれた。

・1795年まで使われていたのはリーヴル (livre) 。1リーヴル  = 240ドゥニエ。

・1795年、国民公会によってフランは十進法の法定通貨として正式に制定(1フラン=100サンチーム)

・1803年、フランス革命暦の月の名にちなんだ金貨「フラン・ジェルミナル」が発行される。

最初のフラン金貨、フランカ・シュヴァル

なんだか、フランがポイントですね。
 
フランは1360年に当時の国王ジャン2世が作った金貨にその端を発する。「フラン」の名は、ラテン語の Johannes Dei Gratia Francorum Rex(神の恩寵によるフランクの王ジャン)から取られ、その価値は当時の通貨であった「トゥールポンド」 (Livre tournois) と同一(1フラン=1トゥールポンド=20ソル)と定められた。

・最初のフランは「フランカ・シュヴァル」(Franc à cheval) 
・シャルル5世によるものを「フランカ・ピエ」(Franc à pied) 
・フランス革命暦の月の名にちなんだ金貨「フラン・ジェルミナル」

結局、なんだかずっとフランだったわけですね。笑


しかしこうして、並べてみると、デザインが共通していることがありますね。デナリウスの影響は大きいです。

最初のデナリウス貨の場合、表面にはローマの胸像、裏面には2輪または4輪のチャリオットに乗る神が描かれている。硬貨には造幣者の名はないが、制御用の小さな印や文字やモノグラムが刻まれていることがあり、それによってその硬貨についての責任者を示している。その後、モノグラムや印は造幣責任者の名前を略したものになっていった。 
ユリウス・カエサルが自身の肖像を硬貨に描かせたとき、硬貨の図像は新たな重要な段階に至った。それまでの造幣者が自身の祖先を硬貨に描いたのに対して、カエサルの硬貨は存命中の人物の肖像を描いた最初の硬貨だった。wiki
デナリウス貨(紀元前82年から83年ごろ)

2012年9月10日月曜日

5区:守護神とジュベ

パンテオン広場、サン=テティエンヌ=デュ=モン教会の続きです。


パリ市の守護神「聖ジュヌヴィエーヴ」についてざっくり入門しながら、教会の内部を探索していきます。

▼パリ郊外ナンテールで羊飼いをしていた、少女ジュヌヴィエーヴ。
(サン=テティエンヌ=デュ=モン教会にある彫刻です)

▼ナンテールで、聖ジェルマン(Germanus of Auxerre)にスカウトされパリに。

フン族からパリを守るなど、ジュヌヴィエーヴの導きでさまざまな問題が解決されました。

パリ5区に現存する、ラ・モンターニュ=サント=ジュヌヴィエーヴ通りはジュヌヴィエーヴがお祈りのため通った道だと言われています。


ジュヌヴィエーヴはパリに教会を建てようと計画し、511年、クロヴィス1世が建設を開始、しかし翌512年、ジュヌヴィエーヴは亡くなってしまいます。遺体が安置されたのが、あのクロヴィス塔のサント=ジュヌヴィエーヴ修道院です。

▼現在、ジュヌヴィエーヴはサン=テティエンヌ=デュ=モン教会で眠っています。


▼ jubé  ジュベ

Chœur et jubé
サン=テティエンヌ=デュ=モン教会に行くことがあったら見逃せないのが、「 jubé  ジュベ」と呼ばれる”内陣仕切り”です。信者が入れる場所と、聖職者のみが入れる内陣を区切る建築様式で、ジュベが現存するパリで唯一の教会が、サン=テティエンヌ=デュ=モン教会なのです。

▼ゴシック建築

正面のバラ窓はもちろん

・この美しい、交差ヴォールト


・パイプオルガン

・フライングバットレス


まだまだ探求したところですが、終わらないので、失礼します。笑


<資料>

・「聖ジュヌヴィエーヴ」についてはこのサイトがとても詳しいですが

・トゥールネル橋の「聖ジュヌヴィエーヴ」について

・パンテオンについては

・ジュベについて

2012年9月9日日曜日

5区:広場の教会



サン=テティエンヌ=デュ=モン教会は奥深いです。
時間がかかりましたがいろいろわかりました。

まずは概要と外見。
L'église Saint-Étienne-du-Mont est une église située sur la montagne Sainte-Geneviève(聖ジュヌヴィエーヴの丘), dans le Ve arrondissement de Paris, à proximité du lycée Henri-IV et du Panthéon. Elle fait l’objet d’un classement au titre desmonuments historiques par la liste de 1862.wiki
サン=テティエンヌ=デュ=モン教会は、
「聖ジュヌヴィエーヴの丘」にあります。

「聖ジュヌヴィエーヴ」はパリ市の守護神です。


あの”クロヴィス塔”のあった、サント=ジュヌヴィエーヴ修道院や図書館の名前にもなっている、「聖ジュヌヴィエーヴ」です。

そして、クロヴィス塔のサント=ジュヌヴィエーヴ修道院はかつて、今日探訪している、サン=テティエンヌ=デュ=モン教会の近くにあったのですが、それはこんな感じで、とても素敵です。
La vieille église Sainte-Geneviève (à droite), telle qu'elle fut reconstruite au XI°s. ,
... remplaçant l'église de Clovis du début du VI°s.
A gauche, collée contre elle, l'église Saint-Etienne du Mont du XVI°s.
A l'extrême droite, les bâtiments de l'abbaye Saint-Geneviève.
Aujourd'hui, la rue Clovis passe à l'emplacement de l'ancien église Sainte-Geneviève (détruite en 1807)
Les locaux de l'ancien monastère sont devenus l'actuel lycée Henri IV.


「クロヴィス塔」の上は三角屋根だったのですね。

→詳しくはこちら

その後、Vue de l'église entre 1914 et 1918.
現在は、

サン=テティエンヌ=デュ=モン教会のホームページはこちら。
http://www.saintetiennedumont.fr/eglise/bref-historique/

長くなってしまったので、サン=テティエンヌ=デュ=モンの内部は次回。
 

2012年9月8日土曜日

5区:広場の区役所


5区の区役所が可愛い件について。
Mairie du 5e arrondissement de Paris

場所は、パンテオン広場です。
La mairie du 5e arrondissement est située place du Panthéon.

wikiによると、広場の主な建物は、
パンテオン Panthéon de Paris 
パリ第1大学 Université Paris 1
パリ第2大学 Université Paris 2
サント=ジュヌヴィエーヴ図書館 Bibliothèque Sainte-Geneviève
サンテティエンヌ・デュ・モン教会 Église Saint-Étienne-du-Mont
アンリ4世高等学校 Lycée Henri-IV
5区の区役所 Mairie du 5e arrondissement
区役所の正面(素敵です)


古い広場の絵はがきには、あのクロヴィス塔、サント=ジュヌヴィエーヴ図書館もみえますね。
La place, côté nord-est, vers 1900. À droite, le Panthéon. À gauche la bibliothèque Sainte-Geneviève. Au fond à droite, le lycée Henri IV, et à gauche l'église Saint-Étienne-du-Mont

→市役所の内部はこのブログがとても詳しいです。
http://blogs.yahoo.co.jp/m_miyoko94/44368470.html



5区が面白すぎて、なかなが抜け出せません。笑
次回は、同じ広場にある「サンテティエンヌ・デュ・モン教会」を探訪します。