2012年9月13日木曜日

測量「最極のふたり」


 というわけで、

映画『最強のふたり』の文通相手が住む、北フランスの街、ダンケルク。




このダンケルクにある鐘楼↓で「メートル」の基準を決めるべく測量が行われました。
時は、フランス革命真っ只中。1792年〜1798年、測量の革命も起きていたわけですね。

まずは、ざっくりと「メートル」の始まりから。
  
万国共通にみんなでつかえる「ものさし」となる長さの基準が必要だ!
と言い始めたのは、フランス人でした。

1790年 フランスのタレーランが普遍的な物理量基準の必要性を提唱

シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール.Charles-Maurice de Talleyrand-Périgord.フランスのフランス革命から、第一帝政、復古王政、七月王政までの政治家で外交官である。

基本的な長さの単位を設定する為に、フランス科学アカデミーは「地球の子午線」、
「パリを通過する北極点と赤道をつなぐ子午線長」を利用することを思いつきます。
そこで、北と南にふたりの科学者を派遣することにしました。

ダンケルクの鐘楼。ドランブルが行った測定の北限。

バルセロナのムンジュイックの丘にある要塞。メシャンが行った測定の南限。
 
パリを起点に、北のダンケルクへはドランブル
南のスペインのバルセロナへはメシャンが向かいました。

測量界の「最極のふたり」です。笑


ジャン=バティスト・ジョゼフ・ドランブル(Jean-Baptiste Joseph Delambre、1749年9月19日 – 1822年8月19日)はフランスの数学者、天文学者。メートルの基準をきめるための測量を行った1人である。
1792年から1799年の間、ピエール・メシャンとともに、ダンケルクからバルセロナの間の子午線弧長の測量を行った。1801年、科学アカデミー数学部門の終身書記に任じられ、生涯その職を務めた。1807年、コレージュ・ド・フランスの天文学教授に任じられ、パリ天文台の台長に任じられた。
Jean-Baptiste Joseph Delambre, né à Amiens le 19 septembre 1749 et mort à Paris le 19 août 1822, est un astronome et mathématicien français.
→http://fr.wikipedia.org/wiki/Jean-Baptiste_Joseph_Delambre

ピエール・フランソワ・アンドレ・メシャン(Pierre François André Méchain, 1744年8月16日 - 1804年9月20日)は、フランスの天文学者。生涯で7個の彗星を発見した。
フランス科学アカデミー正員。シャルル・メシエの助手を務めた後に1800年よりパリ天文台長。
Pierre François André Méchain, né à Laon le 16 août 1744 et mort à Castellón de la Plana (Espagne) le 20 septembre 1804, est un astronome français. wiki
→http://fr.wikipedia.org/wiki/Pierre_M%C3%A9chain

その後のメートルについてはこちら
→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB