『アンリ・カルティエ=ブレッソン―20世紀最大の写真家』
(「知の再発見」双書) [単行本(ソフトカバー)]
クレマン・シェルー (著) 2009
今回はHCBが
A.パリで出会ったシュルレアリスト
B.写真を再発見した時
というお話です。
HCBが愛読 したロートの「肖像論」
P21
詩人アンドレ・ブルトンのもとに集まっているシュルレアリストたちの集まりに、ロート・アカデミーに通っていたHCBを連れていったのは、詩人のルネ・クルヴェルでした。
1924年、ブルトンは『シュルレアリスム宣言』を発表。若いHCBはロートの教え+シュルレアリストたちに影響を受け、1920年代末に数少ない絵を残しています。
「当時の彼の絵には、ロートを通じた形で、セザンヌの影響がはっきりと見てとれる」p22
HCBとセザンヌ。興味深い話題ですが、ざっくりと先を急ぎます。
大きな地図で見る
P24
1928ー29年、HCBはケンブリッジに留学。イギリスから帰国すると、兵役の為、パリの北に位置するル・ブールジェの空軍基地に配属となりました。
この時期に出会った上流階級出身のアメリカ人、クロスビー夫妻の家で、HCBはクルヴェルやブルトンと再会。そして、クロスビー夫妻の家でもう一組の夫婦とも友人になります。アマチュア写真家のパウエル夫妻です。
「アメリカの友人を介して私が最初に見た写真は、アジェとケルテスの写真だった」P26
ジャン=ウジェーヌ・アジェ(Jean-Eugène Atget, 1857年2月12日 - 1927年8月4日)はフランスの写真家。
フランス南西部のボルドーの近くの町リブルヌに生まれ、パリにて死去。
近代写真の父と呼ばれる。20世紀前後のパリの建築物,室内家具など失われる古きパリのイメージを撮影。wiki
P28 、P29に、そのアジェの影響を感じられる写真が比較掲載されているのですが、HCBの写真も、アジェの写真も素晴らしいです。今度のお休みにさっそく真似して撮影してみます。
ポルトラーノのイベントで、倉石先生が「数を撮ると確率が挙がる」という話をしていました。今も、目の前を秒速3mで「偶然」が飛び交っているのです。数を撮る。当たり前のようで、深い言葉だと思います。
感受、感謝。