講座ノート+復習をメモします。
※要点のみ。実際の講座内容はもっともっとずっと濃いです。
第1回
2015/05/16 移民たちの街角(1) の続き。
さて、城壁について。
cf.『パリ移民映画』P.16の表、P.17 の地図
<6つの城壁>
1) ローマ帝国時代
2) P.オーギュスト
3) シャルル5世
4) ルイ13世
5) 徴税請負人の柵
6) ティエール
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1) ローマ帝国時代の城壁
・シテ島。ラ・コロンブ通りの壁に、かつて城壁があったと書いてある。これだったかな?
・シテ島がパリの始まり?
シテ島始まりとよく書いてあるけれど、ナンテールの発掘でいろいろ見つかっている。
「近年の出土品によると、ローマ時代以前のパリ地域最大の集落は現在のパリ郊外のナンテールにあった可能性が示されている。 」(パリの歴史 - Wikipedia)
2) オーギュストの城壁
・マレ地区。シャルルマーニュ高校に城壁が残っている。
これかな。
・ゲルマン人が攻めて来る
・ルーブル要塞
→「ルーブルの歴史」ルーブル美術館のサイト:
フィリップ・オーギュストが城壁を作り、今のルーブル美術館ができまでの歴史。
3) シャルル5世の城壁
・『パリ移民映画』P.17 の地図の3の城壁。今のパリの地図に重ねて見てもよくわかる。
・バスティーユ要塞ができた
この地図の絵・・・雑だけどかわいいいい。
4) ルイ13世の城壁
・3のシャルルの城壁につなげるようにできた・城壁の跡地にできた道がグランブルヴァール(1705)
・城壁を壊す=街が成長するきっかけにもなる
Boulevards on the Turgot map (1736) some years after their creation in place of the Louis XIII wall.(wiki)
5) 徴税請負人の柵 1784年頃
・サクレクールの駅前の道・税金を取るための柵
・フランス革命の引き金のひとつとも
・税金がかからない柵の外側で飲む人や店もできた
----1789年 フランス革命----
6) ティエールの城壁
・この頃、人口100万人・この34kmの城壁を作るために労働者が集まる
・城壁の工事は終わったけどパリから帰らない
・なんだか貧民窟みたいで衛生環境が・・・
・で、オスマンのパリ改造
・大砲もできたし、もうそろそろ城壁じゃないかも・・・
・1919年:ティエールの壁取り壊し
・1973年:ペリフェック完成
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<復習していてみつけた「城壁」関連ネット情報>
▼「ルーブルの歴史」ルーブル美術館のサイト
▼ノートルダム・ド・パリ(上) 著者: ヴィクトル・ユゴー
城壁に関する記述
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ふー。というわけで、城壁をざっくりまとめました。
講座では、この後『パリ・ジュテーム』を見ながら先生の解説があったのですが、今、手もとにDVDがないので蔦屋さんでDVDを借りてから復習しようと思います。
つづきはまた!
感受、感謝。