誰に教わったのか忘れてしまったけれど、
覚えていることがたくさんある。
フランス語のqueのあとにonを書くときは、
que l'onにするほうがいいよ。と、
誰に教わったのか忘れてしまったけれど、
おぼえている。
誰に教わったのか忘れてしまったけれど、
文法書に教わったことじゃないことは覚えている。
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さて、
(今週はほとんど寝ていないから支離滅裂だなあ。笑)
応用編2月号
P.100-P107ぐらいを読んでいておもったこと、2つ。
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今回の応用編は例文に
「いちばん大切なことは、オレたちが一緒にいられるってこと、だろ」
というような、キラーフレーズがたくさんある。
このキラーフレーズという会話術は、
「吉本隆明の183講演」の夏目漱石の会話の話にでてくる「客観性」や
http://www.1101.com/yoshimoto_voice/index.html
ボードレールの「群衆」を感じる。
落語家がいくつもの人になるとき、
群衆(複数の人)であるという客観と同時に孤独なんだと思う。
だけど、見ているこちらには複数の登場人物も浮かんで見えるし、
登場人物に投影された孤独も感じる。
孤独に共感するということなんだろう。
清岡先生が魅せる「客観性」のひとつが会話術文法書であり、
この語り口に「共感する」=「わかりやすい」ということもあるのだろう。
---<その2>-------------------
P.100-P107ぐらいを読んでいて特に気がついたのは、
いわゆる、主語のない日本語の例文が多いこと。
これは、日本語のスピーチレベルだ。
たとえば、
P.107の例文を読めば、
「スマホもってる?」「犬飼ってる?」
というような会話は同年代ではよく使うけど、Vousの人には使わない。
「ミーカのこの曲知ってる?」とか言えるようになるし、
Tu connais cette chanson de Mika ?
で、ああ、そうか、「この曲知ってる?」と聞く時は、
savoirじゃなくて、connaîtreなんだなあと思うし、
「直接目的語を受ける代名詞は3つ」(!)にハッとして、
あ!3月号がもう発売されている(!)ことにハッとする2月19日。
感受、感謝。