Pondichéry vers 1750, au temps de sa splendeur. Vue des magasins de la Compagnie des Indes, de l'amirauté et de la maison du gouverneur. (Lorient, Musée de la Compagnie des Indes)
フランスが半世紀以上かけて村落単位で植民地を広げていったため、いくつもの飛地が入り組んだ状態になっている。現在でもタミル語、英語とともにフランス語が話されており、またフランス極東学院研究センターなどフランスの研究機関が設置されている。 なお、域内にはインドにおける古代ローマ人の居留地で、ローマ金貨などが出土するポドゥケー遺跡がある。
現在はタミル語のパーンディッチェーリが正式名称とされる。パーンディッチェーリとは、もともとタミル語で「新しい町」という意味である。略してパーンディと呼ばれることが多く、バスの行き先表示もしばしばパーンディとなっており、バススタンドでは「パーンディ!パーンディ!」という車掌の呼びかけが聞かれる。
もとはプドゥッチェーリという名であり、これがフランス語に音写されてプーディシェリ(Poudichéry)となった。現在、フランス語ではポンディシェリ(Pondichéry)と呼ばれるが、これは「Poudichéry」の「u」が「n」に誤写された名称である。インドではフランス語話者の多いこの州以外の地域ではほとんど通じない呼称である。
1673年 フランス東インド会社が現地の領主から取得。
1761年 七年戦争中イギリス軍が占領
1763年 パリ条約によりフランスに返還
1793年 フランス革命中イギリス軍が再占領
1814年 ウィーン条約によりフランスに返還
1954年 インドに返還
Wiki抜粋
Carte de l'Inde avec tous les comptoirs européens vers 1740, permettant de situer Pondichéry par rapport aux comptoirs rivaux
むふむふ。
K先生が紹介していた映像興味深いので、コピペっと。
南インドにあるフランス語圏のポンディシェリという街。映像は3輪バイクのリクシャーから眺める街並です。
「パーンディ!パーンディ!」
感受、感謝!