2012年1月22日日曜日

サン=サーンス

「サン=サーンスは”フランスのベートーヴェン”と考えたらよいだろう」

「世界で最初に映画音楽を書いた作曲家ともなったのである」
(『音楽の友』2011年6月号。p.118)


フランスの作曲家、サン=サーンス

カミーユ・サン=サーンスCharles Camille Saint-Saëns
1835年に官吏の家庭に生まれる。モーツァルトと並び称される神童タイプで、2歳でピアノを弾き、3歳で作曲をしたと言われている。また、10歳でバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンたちの作品の演奏会を開き、16歳ではじめての交響曲を書いている。1848年に13歳でパリ音楽院に入学して作曲とオルガンを学ぶ。やがて作曲家兼オルガニストとして活躍。とくにオルガンの即興演奏に素晴らしい腕を見せた彼は1857年に、当時のパリのオルガニストの最高峰といわれたマドレーヌ教会のオルガニストに就任する。1871年にはフランス音楽普及のために、フランク、フォーレらとともにフランス国民音楽協会を設立した。wiki


古雑誌の中には古びない記事が眠っている。
ざらざらの紙に。
この記事をざっくりまとめると。


フランスにおける鍵盤の話。


A:

フランスでは、J・Sバッハ(1685- 1750)とほぼ同じ頃、

つまり、ラモーやクープラン

ジャン=フィリップ・ラモー(Jean-Philippe Rameau, 1683年9月25日 - 1764年9月12日)は、フランス・バロック音楽の作曲家・音楽理論家。フランス語オペラの作曲家としてジャン=バティスト・リュリに取って代わったが、ジャン=ジャック・ルソーによって攻撃されることとなった。wiki

や、

フランソワ・クープラン(クプラン)(François Couperin 発音例, 1668年11月10日 パリ - 1733年9月11日 同地)はフランス盛期バロック音楽の作曲家。楽才を発揮した他の一族と区別して、オルガンやクラヴサンの卓越した演奏能力から「大クープラン 'Couperin le Grand' 」として知られてきた。wiki

の時代にチェンバロのための優れた作品が生み出されて以来、
いい感じの鍵盤作品がなかった。

19世紀になると、パリはオペラやバレエなどの時代となり、
ますます器楽から手が遠のいていく。

そこに、新しい風をすこしづつ吹き込んだのが、
サン=サーンスである。

「サン=サーンスは”フランスのベートーヴェン”と考えたらよいだろう」

ドイツ・オーストリアのような「古典派」にあたる存在のなかったフランスにおいて
さまざまな編成の器楽曲やピアノのための素晴らしい曲を書く。

「モーツァルトの作品を人は”音階とアルペッジョだけでできている”と口汚く言う人がいるが、これはまさにサン=サーンスに当てはまる言葉であろう」p.119

そして彼は、「世界で最初に映画音楽を書いた作曲家ともなったのである」


B:

フランス国民音楽協会を設立し、後進にピアノ音楽への美学への道を開いたサン=サーンス。

フォーレも、サン=サーンスの弟子である。

ガブリエル・ユルバン・フォーレ(Gabriel Urbain Fauré, 1845年5月12日 - 1924年11月4日)はフランスの作曲家である。甘美で官能的な旋律と宗教的な崇高さを合わせ持つ作風で、『レクイエム』はとくに名高い。wiki

当時生まれてきた、ヴェルレーヌなどの新しい詩学に対応する、瑞々しいフォーレの曲。

・2曲のピアノ四重奏曲
・晩年ののピアノ三重奏曲
・ヴェルレーヌの詩に曲をつけた『月の光』、『5つのヴェネツィアの歌』、『優しき歌』は斬新である

19世紀後半になると、フランスのピアノメーカーは全盛期を迎える。
・エラール
・ガボー
・プレイエル

(エラールの歴史 http://piano.perma.jp/piano-maker/erard.html)
(1927年にパリにサル・プレイエルが建設される。wiki)


「サン=サーンスのあの楷書体のような響き」
「フォーレの流れるような新しい響き」 p.119