2011年12月27日火曜日

建築6 ポン・ヌフ

(http://fr.wikipedia.org/wiki/Plan_de_M%C3%A9rian)



この本のおもしろさのひとつは、
歴史的背景も書いてあること。

建物を作るのは人間ですものね。


ポン・ヌフ

様式:ルネサンス様式
年代:
お近くの駅:地下鉄1号線 サンポール、地下鉄8号線 シュマン・ヴェール


基礎データ:
主人公:アンリ4世

今日のところは、ちょっと好きなので、
いつもより楽しみながら。

____________

アンリ4世は「広場」と「新橋」を作った

まず、「広場」編。

<国王広場(プラス・ロワイヤル広場)>

・1605年 バスティーユ要塞の北西

・「国王広場(プラス・ロワイヤル。
1800年以降はヴォージュ広場)」

・この国王広場は、パリ市内で最古の「広場」である

・それ以前のパリは狭い道路がひしめく暗い町だった

・広場の目的は3つ
1.広い場所=衛生的な都市空間
2.全市民を対象とした商業の中心地
3.国王主催の都市祝典の舞台

・国王広場 1辺約130mの正方形

・広場を囲うように赤とクリーム色のツートンカラーの建物。

・このツートン建物はアンリ4世から、次のルイ13世時代にかけての、典型的フランス建築の特徴である。

(余談ですが、実は、このツートン建築、モントリオールにもあるんですよね。たしか消防署だったかなあ)



<王太子広場(プラス・ドーフィーヌ)>

・1607年 シテ島西側

・シテ島の西側の王宮の、そのまたちょっと西に中州があった。

・ポン・ヌフ建築の為に、その中州を埋め立てることになり、その中州のところに王太子広場は建てられた

・したがって、王太子広場は細長い三角形。

・国王広場と同じように、ツートンカラーの建物で囲まれていたが、今はツートンは西側にちょこっと残るのみ。


ふむふむ。

そして、アンリ4世の作ったもうひとつのもの

「新橋」。

<新しい橋「ポン・ヌフ」>

・何が新しいのか
1.石で出来ていること
2.橋の両側に建造物を作らなかったこと

・新橋の計画は以前からあった

1478年 前代のアンリ3世
ー 北に8連 南に4連アーチ
→ やっぱり家賃もとりたいから、両側に建物を建ててという昔ながらの案を採用し、北に7連、南に5連というデザインに変更

1588年__工事中断___

1598年 アンリ4世工事再開
ー 橋の両側に建物は建てない当初の案に
(これには、新橋からルーブルへの景観の配慮だという)

1604年 新橋開通
1606年 完成

1610年 アンリ4世暗殺
1614年 ポン・ヌフ中央 シテ島西端部にアンリ4世の騎馬像設置

で、p.61 に載っている地図は、
「マティウ・メリアンのパリ図(1615年)」

(!)

こ、これは、K先生が今日つぶやいている
「1615年、マテウス・メーリアン」なのではないだろうか。

お、wikiでも見つけた。一番上の地図。

(拡大コピーして部屋に貼ろうかなあ。)

それにしても、むかしの人は何故、地図の上を東にしたのだろう。
太陽との関係だろうか。

それにしても、K先生のいう「ギザギザ」ってどれのことだろう。