2011年12月7日水曜日

ランボー初心者


すべてにおいて初心者だ。笑

でもどうして、
「惜しむのか」
「惜しまなくてはならないのか」
だと、

意味がだいぶ違ってくるなあ。

Mais pourquoi regretter un éternel soleil

なんの話かというと、
K先生の、

L'automne déjà ! ―Mais pourquoi regretter un éternel soleil,
si nous sommes engagés à la découverte de la clarté divine,

もう秋! ー でもどうして永遠の太陽を惜しまなくてはならないのか、
ぼくらは神聖な光の発見を志す身であるのに、

(2011年12月6日火曜日 L'automne déjà ! http://tomo-524.blogspot.com/2011/12/lautomne-deja.html)


でも、どうして、
「惜しむのか」
「惜しまなくてはならないのか」
まあ、答えは、ないのだけれど、


この詩のタイトルは  Adieu 
ぼくらとは、ランボーとヴェルレーヌ。
あと、読者もふくめて、ぼくら。

このあと出てくる、
Et allons.
Mais pas une main amie ! et ou puiser le secours ?

このune main amie がヴェルレーヌの手であるならば※、
1873年、ヴェルレーヌと別れて、さあ行こう、でもちょっと苦しい。

という感じかな。←初心者
だから、

ぼくら2人(ランボーとヴェルレーヌ)のことや、読者全般を含むと、
ぼくらは、「惜しまなくてはならないのか」 と考えられるし。

ヴェルレーヌや、永遠を惜しんでいる読者に対してだったら、
キミは、どうして、「惜しむのか」と。

 
まあ、個人的には、
光を愛する気持ちを惜しむことないんじゃない? 冬は怖いけどさ 
って言ってるように感じる。

後半、
Cependant c'est la veille. Recevons tous les influx de vigueur et de tendresse réelle. Et à l'aurore, armés d'une ardente patience, nous entrerons aux splendides villes.
ぼくらはまだ前夜で、夜が明けたら、町へ出ようって。 

そう、Il faut être absolument moderne.

※(世界文学大系 筑摩書房 43 p.290 
注1 友の手 「ヴェルレーヌの手。ブラッセルのピストル事件は、一時文学への訣別を決意させたほど強い衝撃を与えたことが察せられる」)


 

詩の全体の構成としては、
僕ら → 僕 → 友の手 → 僕 → 僕ら →友の手 →僕

とかなり心が揺れているのがわかりますね。ふむふむ。