2011年12月4日日曜日

11分でわかる、「ルテティア」!

パリにはちょっとだけ興味があります。笑
2011年12月。

ということで、パリ初心者は、
またまたK先生に釣られて…wikiの「ルテティア」などを熟読中。



このVTR面白いです。

11分でわかる、リュテス!=「ルテティア」と今のパリ。
(前半は少しまったりしますが、後半面白いです。ブラタモリのCGみたいな感じですね。)

« LUTECE 3D, VOYAGE DANS LE PARIS ANTIQUE » –... par olemail


wikiをざっくりまとめると、

・ルテティア (ラテン語: Lutetia) は、前ローマ時代およびローマ時代のガリア地方にあった町である。
・別名をラテン語ではルテティア・パリシオルム (Lutetia Parisiorum, パリシイ族の沼沢地)
・別名をフランス語ではリュテス Lutèce


・「ルテティア」という名前はカエサルの『ガリア戦記』(第7巻 第57〜58章)の中に初めて現れる。
・その名前はラテン語の「泥」に由来しており、ローマ人が避けた沼沢地を反映している。


・紀元前52年、ウェルキンゲトリクスがケルト人を率い、カエサルのもとのローマ帝国に対し反乱を起こしたが、これを鎮圧され、ローマ人の支配下に入った。
・ローマ法の下、約8000人の人々と共にルテティアは徹底的にローマ化されていった。
・紀元前1世紀末、パリのシテ島とセーヌ川左岸のサント・ジュヌヴィエーヴの丘は、ルテティアと呼ばれた新しいローマ人集落の中心となった。
・紀元3世紀にはキリスト教化が行われ、ディオニュシウスがこの都市の最初の司教になった。

(これが、その、最初の司教ディオニュシウス=サン・ドニのwikiページ↓なのですが、ちょっと、怖いので。怖いのが大丈夫な方だけ、見て下さい。
「ディオニュシウスという名は、「ディオニュソスの召使」という意味である。日本語では聖ドニ、サン・ドニと呼ばれることが多い。フランスの都市サン=ドニの名前の由来である。」 http://fr.wikipedia.org/wiki/Denis_de_Paris)

・しかし西暦250年頃、ディオニュシウスと2人の伴侶は逮捕され、ローマの拠点があったモンス・メルクリウス (Mons Mercurius) の丘で断頭された。それ以来、その丘はモンス・マルテュルム (Mons Martyrum, 現モンマルトル) として知られる。
(別の言い回しでは、)
・3世紀にサン・ドニが町で最初の司教となり、パリはキリスト教の都市となった。これは必ずしも平和裏に行われたのではなく、250年頃、サン・ドニと2人の同胞は捕えられ、現在のモンマルトルの丘で斬首刑に処せられた。

(これは18区だなあ。←初心者)

・西暦360年、ルテティアはパリ (Paris) に改名された。その名前はガリア人のパリシイ族の名に由来するが、形容詞のパリシアクス (Parisiacus) は既に数世紀にわたり使われていた。


・現在もセーヌ川左岸のカルチエ・ラタンにある高台の小さな公園では、紀元1世紀の円形闘技場(amphitheatre)であるアレーヌ・ド・リュテス (Arènes de Lutèce) を見ることができる。


(「円形闘技場」があるのは、パリ5区かあ。←初心者)

・ルテティアはフランスの漫画「アステリックス」 (Astérix) シリーズに登場する。街を巡視するローマ人兵士と共に多くのガリア部族が登場する。wiki
・小惑星(21)ルテティアは、パリで発見されたことから命名された。
・元素ルテチウムは、パリの研究所で発見されたことを祝して命名された。

ふむふむ。

一通りwikiを読んだところで、
もう一度VTRを見ると、わかりやすいです。←初心者。笑