2009年6月10日水曜日

邯鄲(かんたん)

  
〆(・愛・ )
いろいろなことがリンクして、面白い一日でした。





1.数日前、図書館で三島由紀夫を「近代能楽集」を借りる。
これは『ハードボイルドに生きるのだ』向井万起男(「私の読書日記」の項)で紹介されていた本のひとつ。
ちなみに、『雪国』の英訳例の正解もこの『ハードボイルド―』に収録されています。


2.昨日、突然、お能の『邯鄲』を観に行くチャンスを得る。
『邯鄲』のあらすじついて、10秒で読める、漫画はこちら↓
→立命館大学能楽部http://2style.jp/ritsnoh/readings/manga_kantan.html

3.帰宅して清岡先生のblogを訪ねる。
---東京は「破壊」するけど、たとえば故郷静岡はいつまでも(!)今のままでいて欲しい、的な感想です。 う~ん、どういう心理なんでしょう?
という話を脳のポケットに収納しつつ、

4.そうだそうだ、とwikiで、お能の『邯鄲』について調べる。 
すると(!)
---三島由紀夫は『近代能楽集』の中に能『邯鄲』を現代風の戯曲に翻案した作品を書いている。
wiki

5.びっくりして、三島由紀夫『近代能楽集』のページをめくる。
次郎:うわあ、きれいだ。子どものときの僕の部屋とそっくりじゃないか、ねえ。
菊 :そりゃあそうでございますとも。菊はあのお部屋を忘れたくないんでございます。お坊ちゃまをお育てした東京のあのお部屋をいつまでもとっとくために、こうやって模型をつくりましたんでございます。


物語の冒頭のこの場面↑。

「こんな田舎」で「東京のあのお部屋」を「いつまでもとっておくために模型」を建築した菊。 そして、「あの部屋へ帰ってきたような気がする」という十八歳の主人公。

清岡先生の「故郷静岡はいつまでも(!)今のままでいて欲しい」という部分と、物語のなかの「東京のあのお部屋をいつまでもとっとくために」が、ボクのなかではメビウスの輪で、最後の朝の場面で一周するような気がいたします。




〆(・愛・ )

そんな面白い一日でした。

まだ「邯鄲」しか読んでいませんが、三島由紀夫『近代能楽集』面白いです。
キッスから始まる骸骨の話とか、誰かとキッスするとき想い出したら困るなぁ。でも、誰かとキッスするとき想い出して、そしてもっと愛しくなるんだろう。

『邯鄲』。

(・愛・)ノ  感受、感謝!


え? フランス語の話をしていない? 
では、ひとつだけ。
お能の帰りの電車でディクテの勉強をしていたら、お能を観た後、耳の感度がよくなっていることに気がつきました。何を言っているのか「知りたいという気持ち」が、耳のなかのカタツムリを目覚めさせたのかもしれません。
ボクのカタツムリと一緒に、聴きたい世界がたくさんあります!


〆(・愛・ ) さあ、今日もはりきって、「予感」しよう、「実験」しよう、「夢」を、

おーいえい! 感受、感謝!