パリ16区の裕福な名門出身。
フランスで超人気の俳優ギョーム・ガリエンヌ監督デビュー!
2014年度セザール賞、5部門を受賞した大ヒットコメディ!
『不機嫌なママにメルシィ!』
Les garçons et Guillaume, à table !
Les garçons et Guillaume, à table !
フランスで300万人を笑いと涙で包んだ、感動作!
日仏学院での特別試写会と、上映後のスペシャルインタビューへ参加しました。
ギョーム・ガリエンヌ本人による映画の解説がとても面白かったのでメモメモ。
※かなりネタばれしますので、ご注意下さい。
まずは、予告編。仏語版と日本語版。
そして、上映後のギョーム・ガリエンヌ本人による映画の解説のまとめ。
とても深いお話でした。
※以下、かなりネタばれしますので、ご注意下さい。
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・これは、仮面をとる。
自分をさらけだすという比喩。
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・1枚目の写真/いとこの女性
ボク自身が職業として役者になろうとしたきっかけは、
18歳のとき、いとこの女性が亡くなってしまい、
そんなに人生が短いのなら、ボクはいくつも人生が必要だと実感した。
そのいとこの女性の写真。
・2枚目の写真/シルヴィ・ギエム
ボクのことを最初に「アーティスト」とよんでくれたひと。
・3枚目の写真/観世さん
ボクが役者になる時に、本当にボク自身を形成した書は、
世阿弥の書。「花伝書」。
・この3人の人物はボクに「自信」を与えてくれた
「自信」のシンボルなんです。
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義務ではなく権利があるんだと。
時間をかけてもいいんだと学んだ。
「花伝書」を読んで、花がつぼみからだんだん咲くように
一歩づつ、役者も進んでいくのだと。
・扇子をひらくシーンは、
扇子をひらくにつれて、役者であるボク自身がかくれてゆく。
役者の楽しさを表現している。
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・小さい頃、何時間でも石を見ながらボーっと過ごせる子供だった。
石が船や建物にみえてくる。その日本での経験。
・例えば、盆栽。
欧米では神が絶対的に大きな存在で、人間はちっぽけである。
日本の盆栽は小さいけれども、あなたが小さくなれば、
その小さな盆栽も大きくみえるでしょう。
・その日本のマクロとミクロを自在に往復できるそういうところは
日本的だと思うし、ボク自身に似てる部分だと思い、
能の動きを取り入れている。
・「失われた時を求めて」を読んだとき、ボク自身とても解放された。
記憶は主観的でいいんだ。時間も空間も自由自在に操れるものなんだ
リアリズムに固執しなくていいんだということ。
・これはボクやプルーストに共通する「上流階級」とも関係あるかもしれない。
すぐに移動できたり、部屋の内装も変えることができるから。
■同じテーマによる、芝居と映画について
・実は最初から映画にしたかったけど、まだまったくの無名で、
フランスの上流階級について描くのに、予算を集められなかった。
・そんな頃、初めてチャンスを与えてくれたのは、
Théâtre de l'Ouest Parisienの支配人、オリビエ・メイヤーさん。
是非、きみのやりたいことをやってほしいとオファーを受けた。
・この映画はひとりの俳優の誕生潭でもある。
最初は演劇の舞台のシーンからはじめたかった。
・映画手法としては、
舞台のシーンは流麗でクローズアップも多用している。
フィクションなシーンに入って行くと、
カットが固定ショットになり、シアトリカルな空間になる。
美術セットも演劇的になる。
・ただ、人物も受動的だったのが進化して、固定ショットも壊されて
水平方向の動きだったカメラワークも垂直方向
→だんだんアクティブになっていく。
・そして、シアターとリアリティが合流する。
シアターはボク自身を救ってくれた。
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ふむふむ。感受、感謝。