2011年の大晦日。
煩悩のおもむくまま、心は17世紀前半にいます。
『パリとセーヌ川』中公新書
という本のp.166を読んでいましたら、
昨日書いた、CD4Nは「ネールの塔」という
妖しい塔を取り壊した後に建てられたと書いてあります。
ビュリダン学長は命拾いしましたね・・・
「ネールの塔」こっそり検索しないで下さいね。笑
さて、建築はそろそろ、
ルーヴル宮殿改造の時代です。
ここでは、ルーヴル改造に関連した、
当時の重要な建築家を2人
ざっくりまとめてみようと思います。
1.ジャック・ルメルシエ
2.アルドゥアン=マンサール
まずは、フランスを代表する建築家のひとり。
ルーブル拡張計画が実行に移されたルイ13世の時代に、
国王付主席建築家になったルーヴル拡張の担当者、
ジャック・ルメルシエ
(1585~1654)
Jacques Lemercier (1585-1654) est un architecte français.
ルーヴル宮殿でのルメルシエの代表作は
西棟中央にある「時計のパヴィリヨン」1624ー25です。
Pavillon de l'Horloge
4層構成のスーパーコラムニエーションですが
これがなかなか面白い。
3層目 レリーフを施したアティック(たぶん屋根裏部屋?)
2層目 コンポジット式
1層目 コリント式
この1、2、3層までのオーダーは、
同じルーヴル内の、レスト棟のデザイン同じなのですが、
問題は4層目。
スーパーコラムニエーションの基本ルールとして
△コンポジット式
△コリント式
△イオニア式
△ドリス式
△トスカナ式
と、古い様式のオーダーが
下層になくてはいけないのですが、
2層目ですでに、コンポジット式が使用されています。
そこで、ル・メルシエは考えました。
最上層である4層目に、
コンポジット式よりも華麗なもの・・・として、
カリアティード(女身柱) をデザインしたのです。
そもそも、オーダーの美しさは人体比率から来ています。
△コンポジット式 婦人 ←コリント式に準じて
△コリント式 婦人
△イオニア式 女性
△ドリス式 男性
最上層の4層目にふさわしいもの、
人体比率の美しさを模したオーダーよりも
華麗なもの・・・それは、
乙女の身体そのもの!
というわけで、
4層目に乙女のカリアティード(女身柱)がデザインされているのです。
3層目までは、ルネサンス様式であり、
(つまり、初期ルーヴルのレスト棟を担当した、
フランス人建築家ピエール・レスコのデザイン)
4層目は、バロックなのです。
バロック建築は
絵画や彫刻と渾然一体となったデザインであり、
カリアティード(女身柱)の彫刻も
まさに、建築表現の一部となっているのですね。
ちなみに『パリ 名建築でめぐる旅 』では、P.74ーです。
それにwikiの情報や写真をプラスしています。
あと、個人的に、ジャック・ルメルシエ作品で好きなのは、
パリ5区にある、
La Chapelle de la Sorbonne en 1626.
かわいいー。
このサイトに詳しい写真がいくつか
http://paris1900.lartnouveau.com/paris05/la_sorbonne/chapelle_de_la_sorbonne.htm
場所はここです。
それにしても建築がちょっとわかってくると「ふれあい街歩き」を観ていても、
お、あれはコリント式!とか発見が広がり面白いです。
では、伊達巻を作りに行ってきます。
マンサールはまた明日!
2011年12月31日土曜日
2011年12月30日金曜日
建築7 CD4N
図書館で借りた、とても素敵な本。
中島 智章 『パリ 名建築でめぐる旅 』河出書房新社 2008
に載っている、パリの代表建築を年代別に、ざっくりまとめています。
さて、バロックです!
p.68
フランス学士院
Collège des Quatre-Nations
イタリア・バロックへのあこがれ
様式:バロック様式
お近くの駅:6区
地下鉄1号線 ルーヴル=リヴォリ、地下鉄7号線ポン・ヌフ(ラ・モネ)
基礎データ
・フランスがルネサンス建築の頃、イタリアはすでにルネサンスからバロックへ移り変わっていた。
・バロックとは「ゆがんだ真珠」を意味するポルトガル語「バロッコ」に由来するのが有力な説。
・ルネサンスの特徴
-正方形や円のような静的な幾何学図形
-平面のファザードに各階等間隔のオーダー
・バロックの特徴
-楕円形クーポラ
-立体的ファザード
など、静的なルネサンスに対して、ダイナミックな造形
<ルイ・ル・ヴォーさん>
Louis Le Vau est un architecte français né à Paris en 1612 et mort dans cette même ville le 11 octobre 1670.wiki
・パリで石工の息子として生まれた。
・1635ー1644 サン・ルイ島(セーヌ川中州)の開発に従事→建築家としてのキャリアを積み、1654年国王付主席建築家となる。
・彼のもっとも有名な作品が、ヴォー=ル=ヴィコント城館であり、パリのコレージュ・デ・キャトル・ナシオンだ。
ヴォー=ル=ヴィコント城(Château de Vaux-le-Vicomte)はフランスのセーヌ=エ=マルヌ県にある17世紀のバロック様式の城。ルイ14世の大蔵卿ニコラ・フーケ(Nicolas Fouquet)によって建てられた。フーケは当時最高の芸術家、すなわち建築家のル・ヴォー、画家のル・ブラン、造園家のル・ノートルを招いて建設にあたらせた。この城の成功はルイ14世の不興を買い、フーケは没落し、建設に当った芸術家はそのままルイ14世によってヴェルサイユ宮殿の建設に従事させられることになった。その庭園はフランス・バロック庭園の初期の傑作といわれている。wiki
そして、
フランス学士院< コレージュ・デ・キャトル・ナシオン>
(以下CD4N)
・CD4Nは直訳すると「四国学院」
・4つの国とは、
1659年ピレネー講和条約によりフランス領となった
- アルトワ
- アルザス
- ピエモンテ
- ルーション
この地方の学生60名を受け入れることとなった。
・CD4Nは、1662-1667,8に建設、1688年に開校。
・正面のファサードはコリント式の「ジャイアントオーダー」。
・ジャイアントオーダーとは、1階と2階を貫く巨大なオーダーのこと。
・ジャイアントオーダーを構想したのは、なんと、
16世紀のミケランジェロ(!)
・CD4Nのデザインはまだ当時のフランスではめずらしかった、イタリア風バロックである。
なるほどー。しかし、ミケランジェロが登場するとは。
中島 智章 『パリ 名建築でめぐる旅 』河出書房新社 2008
に載っている、パリの代表建築を年代別に、ざっくりまとめています。
さて、バロックです!
p.68
フランス学士院
Collège des Quatre-Nations
イタリア・バロックへのあこがれ
様式:バロック様式
お近くの駅:6区
地下鉄1号線 ルーヴル=リヴォリ、地下鉄7号線ポン・ヌフ(ラ・モネ)
基礎データ
・フランスがルネサンス建築の頃、イタリアはすでにルネサンスからバロックへ移り変わっていた。
・バロックとは「ゆがんだ真珠」を意味するポルトガル語「バロッコ」に由来するのが有力な説。
・ルネサンスの特徴
-正方形や円のような静的な幾何学図形
-平面のファザードに各階等間隔のオーダー
・バロックの特徴
-楕円形クーポラ
-立体的ファザード
など、静的なルネサンスに対して、ダイナミックな造形
<ルイ・ル・ヴォーさん>
Louis Le Vau est un architecte français né à Paris en 1612 et mort dans cette même ville le 11 octobre 1670.wiki
・パリで石工の息子として生まれた。
・1635ー1644 サン・ルイ島(セーヌ川中州)の開発に従事→建築家としてのキャリアを積み、1654年国王付主席建築家となる。
・彼のもっとも有名な作品が、ヴォー=ル=ヴィコント城館であり、パリのコレージュ・デ・キャトル・ナシオンだ。
ヴォー=ル=ヴィコント城(Château de Vaux-le-Vicomte)はフランスのセーヌ=エ=マルヌ県にある17世紀のバロック様式の城。ルイ14世の大蔵卿ニコラ・フーケ(Nicolas Fouquet)によって建てられた。フーケは当時最高の芸術家、すなわち建築家のル・ヴォー、画家のル・ブラン、造園家のル・ノートルを招いて建設にあたらせた。この城の成功はルイ14世の不興を買い、フーケは没落し、建設に当った芸術家はそのままルイ14世によってヴェルサイユ宮殿の建設に従事させられることになった。その庭園はフランス・バロック庭園の初期の傑作といわれている。wiki
そして、
フランス学士院< コレージュ・デ・キャトル・ナシオン>
(以下CD4N)
・CD4Nは直訳すると「四国学院」
・4つの国とは、
1659年ピレネー講和条約によりフランス領となった
- アルトワ
- アルザス
- ピエモンテ
- ルーション
この地方の学生60名を受け入れることとなった。
・CD4Nは、1662-1667,8に建設、1688年に開校。
・正面のファサードはコリント式の「ジャイアントオーダー」。
・ジャイアントオーダーとは、1階と2階を貫く巨大なオーダーのこと。
・ジャイアントオーダーを構想したのは、なんと、
16世紀のミケランジェロ(!)
・CD4Nのデザインはまだ当時のフランスではめずらしかった、イタリア風バロックである。
なるほどー。しかし、ミケランジェロが登場するとは。
2011年12月29日木曜日
建築 きーわーも
バロックの項目は、
ナイスな建築用語がたくさん飛び出すため、
その前に、建築用語をざっくり、ぷち復習。
あえて、3つずつに絞りました。
(この3つがあれば、かなり楽しめます。)
★基礎用語:
1.ファサード(façade) ←フランス語です。建築物の正面のデザイン。
2.クーポラ(cupola) ←イタリア語です。 半球形の屋根のこと 。
3.ピラスター(Pilaster) 付け柱(つけばしら)のこと。壁にくっついた装飾的な平らな柱のこと。
3.ピラスターの例↓。
ネットで見つけた個人的なおすすめピラスターはこちら。
フランスのロワール渓谷にある、アンボワース城(Château d'Amboise)。
かっこいいですねー。
★応用用語:
1.エンタブラチュア
2.オーダー
3.スーパーコラムニエーション supercolumniation
言葉の響きだけでもワクワクしますが、
さっそく、
1.エンタブラチュア
wikiをざっくりまとめると。
エンタブラチュアとは、「柱の上の水平になっているとこ」です。
これ↓でいう、1番。
様式は、大きく分けると3つ。 (3つだけ!)
・ドーリア式; 古代ギリシア前期 例:アテナイのパルテノン神殿。
・イオニア式; 紀元前~5世紀 例:ギリシアのエレクテイオン神殿。
・コリント式; イオニア式の発展型 例:ローマのパンテオン
ドーリア式の柱(パルテノン神殿)
イオニア式(エレクテイオン神殿)
コリント式(ローマのパンテオン)
で、
実は、これらエンタブラチュアとは、
次に紹介する、↓2.オーダーの上の部分なのです。
2.オーダー
オーダーとは、円柱と梁(はり)の組み合わせで、
どの比例関係が美しいのかを定型化したもの。
オーダーは5種類。 (3つじゃない!)
1.トスカナ式 シンプル 例:エトルリアの神殿建築
2. ドリス式 シマシマ 例:パルテノン神殿
3. イオニア式 渦巻き2D 例:エレクテイオン神殿
4. コリント式 渦巻きがちっちゃくなって3D 例:ローマのパンテオン
5. コンポジット式 コリント+イオニア
5種類に決めて、建築の絶対美としたのはルネサンスの建築家たち。
ヴィニョーラの『建築の5つのオーダー』に掲載されていた5種類のオーダー
トスカナ式 ドリス式
イオニア式 イオニアモダン式
コリント式 コンポジット式
ポイントは渦巻きですね。
「イオニア式」で渦巻きが登場、
「コリント式」で渦巻きがちっちゃくなって3D化。
「コンポジット式」は、コリントの上にイオニアを乗っけたら良い感じになったのです。
そして、
3.スーパーコラムニエーション というのは、
違う種類のオーダー、(コラム(柱脚))をタテに重ねちゃうデザインのこと。
In architecture, supercolumniation is the putting of one order above another.
(http://www.probertencyclopaedia.com)
これは、『パリ 名建築でめぐる旅 』p.63に
いい例文が載っています。写真はwiki
それは、パリ、パリ4区、サン・ジェルヴェ・サン・プロテ教会です。
The St-Gervais-et-St-Protais Church
下から順に、
1層目が、ドリス式
2層目が、イオニア式
3層目が、コリント式
しかも、双子柱。
双子柱は、えーと、後期ルネサンスから生まれバロックで一般化した様式。
2つの柱を近めに配置して、一定間隔で並べたもの。
4区に行く時は、この「スーパーコラムニエーション」。
渦巻きたちの共演はみのがせませんなあ。
ナイスな建築用語がたくさん飛び出すため、
その前に、建築用語をざっくり、ぷち復習。
あえて、3つずつに絞りました。
(この3つがあれば、かなり楽しめます。)
★基礎用語:
1.ファサード(façade) ←フランス語です。建築物の正面のデザイン。
2.クーポラ(cupola) ←イタリア語です。 半球形の屋根のこと 。
3.ピラスター(Pilaster) 付け柱(つけばしら)のこと。壁にくっついた装飾的な平らな柱のこと。
3.ピラスターの例↓。
ネットで見つけた個人的なおすすめピラスターはこちら。
フランスのロワール渓谷にある、アンボワース城(Château d'Amboise)。
かっこいいですねー。
★応用用語:
1.エンタブラチュア
2.オーダー
3.スーパーコラムニエーション supercolumniation
言葉の響きだけでもワクワクしますが、
さっそく、
1.エンタブラチュア
wikiをざっくりまとめると。
エンタブラチュアとは、「柱の上の水平になっているとこ」です。
これ↓でいう、1番。
様式は、大きく分けると3つ。 (3つだけ!)
・ドーリア式; 古代ギリシア前期 例:アテナイのパルテノン神殿。
・イオニア式; 紀元前~5世紀 例:ギリシアのエレクテイオン神殿。
・コリント式; イオニア式の発展型 例:ローマのパンテオン
ドーリア式の柱(パルテノン神殿)
イオニア式(エレクテイオン神殿)
コリント式(ローマのパンテオン)
で、
実は、これらエンタブラチュアとは、
次に紹介する、↓2.オーダーの上の部分なのです。
2.オーダー
オーダーとは、円柱と梁(はり)の組み合わせで、
どの比例関係が美しいのかを定型化したもの。
オーダーは5種類。 (3つじゃない!)
1.トスカナ式 シンプル 例:エトルリアの神殿建築
2. ドリス式 シマシマ 例:パルテノン神殿
3. イオニア式 渦巻き2D 例:エレクテイオン神殿
4. コリント式 渦巻きがちっちゃくなって3D 例:ローマのパンテオン
5. コンポジット式 コリント+イオニア
5種類に決めて、建築の絶対美としたのはルネサンスの建築家たち。
ヴィニョーラの『建築の5つのオーダー』に掲載されていた5種類のオーダー
トスカナ式 ドリス式
イオニア式 イオニアモダン式
コリント式 コンポジット式
ポイントは渦巻きですね。
「イオニア式」で渦巻きが登場、
「コリント式」で渦巻きがちっちゃくなって3D化。
「コンポジット式」は、コリントの上にイオニアを乗っけたら良い感じになったのです。
そして、
3.スーパーコラムニエーション というのは、
違う種類のオーダー、(コラム(柱脚))をタテに重ねちゃうデザインのこと。
In architecture, supercolumniation is the putting of one order above another.
(http://www.probertencyclopaedia.com)
これは、『パリ 名建築でめぐる旅 』p.63に
いい例文が載っています。写真はwiki
それは、パリ、パリ4区、サン・ジェルヴェ・サン・プロテ教会です。
The St-Gervais-et-St-Protais Church
下から順に、
1層目が、ドリス式
2層目が、イオニア式
3層目が、コリント式
しかも、双子柱。
双子柱は、えーと、後期ルネサンスから生まれバロックで一般化した様式。
2つの柱を近めに配置して、一定間隔で並べたもの。
4区に行く時は、この「スーパーコラムニエーション」。
渦巻きたちの共演はみのがせませんなあ。
2011年12月27日火曜日
ヴォーバンさん
K先生が言っているのは、
この方だろうか。
ヴォーバン領主セバスティアン・ル・プレストル(Sébastien Le Prestre, Seigneur de Vauban、1633年5月15日 - 1707年3月30日)は、フランス国王ルイ14世に仕えた17世紀に活躍したフランスの軍人、建設技術者、技術将校。また建築家、都市計画家。軍隊技術者の中でもっとも有名な人物として知られる。名将ヴォルテールに従って150の戦場の要塞を建設あるいは修理し、53の城塞包囲攻撃を指揮したといわれる。近代的な稜堡式の要塞の築城法を体系化し、「落ちない城はない」と言われたほどの要塞攻城の名手であった。wiki
http://www.sites-vauban.org/
世界遺産になっているのですね。
ふむふむ
この番組わかりやすいです。ふむふむ。
fortifications Vauban (2sur3) par gaune_692
この方だろうか。
ヴォーバン領主セバスティアン・ル・プレストル(Sébastien Le Prestre, Seigneur de Vauban、1633年5月15日 - 1707年3月30日)は、フランス国王ルイ14世に仕えた17世紀に活躍したフランスの軍人、建設技術者、技術将校。また建築家、都市計画家。軍隊技術者の中でもっとも有名な人物として知られる。名将ヴォルテールに従って150の戦場の要塞を建設あるいは修理し、53の城塞包囲攻撃を指揮したといわれる。近代的な稜堡式の要塞の築城法を体系化し、「落ちない城はない」と言われたほどの要塞攻城の名手であった。wiki
http://www.sites-vauban.org/
世界遺産になっているのですね。
ふむふむ
この番組わかりやすいです。ふむふむ。
fortifications Vauban (2sur3) par gaune_692
建築6 ポン・ヌフ
(http://fr.wikipedia.org/wiki/Plan_de_M%C3%A9rian)
この本のおもしろさのひとつは、
歴史的背景も書いてあること。
建物を作るのは人間ですものね。
ポン・ヌフ
様式:ルネサンス様式
年代:
お近くの駅:地下鉄1号線 サンポール、地下鉄8号線 シュマン・ヴェール
基礎データ:
主人公:アンリ4世
今日のところは、ちょっと好きなので、
いつもより楽しみながら。
____________
アンリ4世は「広場」と「新橋」を作った
まず、「広場」編。
<国王広場(プラス・ロワイヤル広場)>
・1605年 バスティーユ要塞の北西
・「国王広場(プラス・ロワイヤル。
1800年以降はヴォージュ広場)」
・この国王広場は、パリ市内で最古の「広場」である
・それ以前のパリは狭い道路がひしめく暗い町だった
・広場の目的は3つ
1.広い場所=衛生的な都市空間
2.全市民を対象とした商業の中心地
3.国王主催の都市祝典の舞台
・国王広場 1辺約130mの正方形
・広場を囲うように赤とクリーム色のツートンカラーの建物。
・このツートン建物はアンリ4世から、次のルイ13世時代にかけての、典型的フランス建築の特徴である。
(余談ですが、実は、このツートン建築、モントリオールにもあるんですよね。たしか消防署だったかなあ)
<王太子広場(プラス・ドーフィーヌ)>
・1607年 シテ島西側
・シテ島の西側の王宮の、そのまたちょっと西に中州があった。
・ポン・ヌフ建築の為に、その中州を埋め立てることになり、その中州のところに王太子広場は建てられた
・したがって、王太子広場は細長い三角形。
・国王広場と同じように、ツートンカラーの建物で囲まれていたが、今はツートンは西側にちょこっと残るのみ。
ふむふむ。
そして、アンリ4世の作ったもうひとつのもの
「新橋」。
<新しい橋「ポン・ヌフ」>
・何が新しいのか
1.石で出来ていること
2.橋の両側に建造物を作らなかったこと
・新橋の計画は以前からあった
1478年 前代のアンリ3世
ー 北に8連 南に4連アーチ
→ やっぱり家賃もとりたいから、両側に建物を建ててという昔ながらの案を採用し、北に7連、南に5連というデザインに変更
1588年__工事中断___
1598年 アンリ4世工事再開
ー 橋の両側に建物は建てない当初の案に
(これには、新橋からルーブルへの景観の配慮だという)
1604年 新橋開通
1606年 完成
1610年 アンリ4世暗殺
1614年 ポン・ヌフ中央 シテ島西端部にアンリ4世の騎馬像設置
で、p.61 に載っている地図は、
「マティウ・メリアンのパリ図(1615年)」
(!)
こ、これは、K先生が今日つぶやいている
「1615年、マテウス・メーリアン」なのではないだろうか。
お、wikiでも見つけた。一番上の地図。
(拡大コピーして部屋に貼ろうかなあ。)
それにしても、むかしの人は何故、地図の上を東にしたのだろう。
太陽との関係だろうか。
それにしても、K先生のいう「ギザギザ」ってどれのことだろう。
この本のおもしろさのひとつは、
歴史的背景も書いてあること。
建物を作るのは人間ですものね。
ポン・ヌフ
様式:ルネサンス様式
年代:
お近くの駅:地下鉄1号線 サンポール、地下鉄8号線 シュマン・ヴェール
基礎データ:
主人公:アンリ4世
今日のところは、ちょっと好きなので、
いつもより楽しみながら。
____________
アンリ4世は「広場」と「新橋」を作った
まず、「広場」編。
<国王広場(プラス・ロワイヤル広場)>
・1605年 バスティーユ要塞の北西
・「国王広場(プラス・ロワイヤル。
1800年以降はヴォージュ広場)」
・この国王広場は、パリ市内で最古の「広場」である
・それ以前のパリは狭い道路がひしめく暗い町だった
・広場の目的は3つ
1.広い場所=衛生的な都市空間
2.全市民を対象とした商業の中心地
3.国王主催の都市祝典の舞台
・国王広場 1辺約130mの正方形
・広場を囲うように赤とクリーム色のツートンカラーの建物。
・このツートン建物はアンリ4世から、次のルイ13世時代にかけての、典型的フランス建築の特徴である。
(余談ですが、実は、このツートン建築、モントリオールにもあるんですよね。たしか消防署だったかなあ)
<王太子広場(プラス・ドーフィーヌ)>
・1607年 シテ島西側
・シテ島の西側の王宮の、そのまたちょっと西に中州があった。
・ポン・ヌフ建築の為に、その中州を埋め立てることになり、その中州のところに王太子広場は建てられた
・したがって、王太子広場は細長い三角形。
・国王広場と同じように、ツートンカラーの建物で囲まれていたが、今はツートンは西側にちょこっと残るのみ。
ふむふむ。
そして、アンリ4世の作ったもうひとつのもの
「新橋」。
<新しい橋「ポン・ヌフ」>
・何が新しいのか
1.石で出来ていること
2.橋の両側に建造物を作らなかったこと
・新橋の計画は以前からあった
1478年 前代のアンリ3世
ー 北に8連 南に4連アーチ
→ やっぱり家賃もとりたいから、両側に建物を建ててという昔ながらの案を採用し、北に7連、南に5連というデザインに変更
1588年__工事中断___
1598年 アンリ4世工事再開
ー 橋の両側に建物は建てない当初の案に
(これには、新橋からルーブルへの景観の配慮だという)
1604年 新橋開通
1606年 完成
1610年 アンリ4世暗殺
1614年 ポン・ヌフ中央 シテ島西端部にアンリ4世の騎馬像設置
で、p.61 に載っている地図は、
「マティウ・メリアンのパリ図(1615年)」
(!)
こ、これは、K先生が今日つぶやいている
「1615年、マテウス・メーリアン」なのではないだろうか。
お、wikiでも見つけた。一番上の地図。
(拡大コピーして部屋に貼ろうかなあ。)
それにしても、むかしの人は何故、地図の上を東にしたのだろう。
太陽との関係だろうか。
それにしても、K先生のいう「ギザギザ」ってどれのことだろう。
2011年12月26日月曜日
建築5 ゴとルの融合
図書館で借りた、とても素敵な本。
中島 智章 『パリ 名建築でめぐる旅 』河出書房新社 2008
に載っている、パリの代表建築を年代別に、ざっくりまとめています。
ゴシックとルネッサンスの融合
p.40-
サントゥスターシュ聖堂
Eglise St-Eustache
様式:ゴシックとルネッサンス
お近くの駅:RER-A,B,D線 シャトレ=レ・アール
基礎データ
・シャルル7世の時に百年戦争終結
・シャルル8世、ルイ12世、フランソワ1世の3代に渡って続くイタリア遠征
・フランス軍の攻城砲がイタリア半島の中世的建築方式の市壁を無力化
↓
イタリア半島において新たな要塞建築術を生み出すきっかけになった
・ゴシックの本場から来たフランス人にとって、ミラノの初期ルネサンス建築がルネサンス建築入門となる。
・イタリア遠征に参加した王侯貴族によって、ゴシック様式を基礎とするフランスの建築にルネサンス建築の要素が導入されっていった
<サントゥスターシュ聖堂>
・世俗の建築で徐々にルネサンス様式が広がりをみせた16世紀フランスであったが、教会堂建築においてはゴシックの伝統が支配していた。
・そんななかルネサンス様式を取り入れた数少ない作例が、パリのサントゥスターシュ聖堂。
・ゴシック的要素
ーきらめくステンドグラス
ー建物周囲のフライングバットレス
ー放射状祭室の輪郭線
ー実際、平面計画はパリのノートル・ダムを意識下もの
・ゴシックとは異質の要素
ーゴシックの最大のデザイン的特徴である、ポインテッド・アーチではなく→半円形アーチによるリブヴォールト
ー柱には古代建築やルネサンス建築でみられる、スーパーコラムニエーションと呼ばれる技法
ーゴシックではピアと呼ばれる細い円柱を1本に束ねたような柱→この聖堂では古代風の円柱を重ねたものを使用し、柱の一番上の装飾に巧みに利用している。
中島 智章 『パリ 名建築でめぐる旅 』河出書房新社 2008
に載っている、パリの代表建築を年代別に、ざっくりまとめています。
ゴシックとルネッサンスの融合
p.40-
サントゥスターシュ聖堂
Eglise St-Eustache
様式:ゴシックとルネッサンス
お近くの駅:RER-A,B,D線 シャトレ=レ・アール
基礎データ
・シャルル7世の時に百年戦争終結
・シャルル8世、ルイ12世、フランソワ1世の3代に渡って続くイタリア遠征
・フランス軍の攻城砲がイタリア半島の中世的建築方式の市壁を無力化
↓
イタリア半島において新たな要塞建築術を生み出すきっかけになった
・ゴシックの本場から来たフランス人にとって、ミラノの初期ルネサンス建築がルネサンス建築入門となる。
・イタリア遠征に参加した王侯貴族によって、ゴシック様式を基礎とするフランスの建築にルネサンス建築の要素が導入されっていった
<サントゥスターシュ聖堂>
・世俗の建築で徐々にルネサンス様式が広がりをみせた16世紀フランスであったが、教会堂建築においてはゴシックの伝統が支配していた。
・そんななかルネサンス様式を取り入れた数少ない作例が、パリのサントゥスターシュ聖堂。
・ゴシック的要素
ーきらめくステンドグラス
ー建物周囲のフライングバットレス
ー放射状祭室の輪郭線
ー実際、平面計画はパリのノートル・ダムを意識下もの
・ゴシックとは異質の要素
ーゴシックの最大のデザイン的特徴である、ポインテッド・アーチではなく→半円形アーチによるリブヴォールト
ー柱には古代建築やルネサンス建築でみられる、スーパーコラムニエーションと呼ばれる技法
ーゴシックではピアと呼ばれる細い円柱を1本に束ねたような柱→この聖堂では古代風の円柱を重ねたものを使用し、柱の一番上の装飾に巧みに利用している。
2011年12月24日土曜日
建築4 ヴァン要塞
図書館で借りた、とても素敵な本。
中島 智章 『パリ 名建築でめぐる旅 』河出書房新社 2008
に載っている、パリの代表建築を年代別に、ざっくりまとめています。
P.32-
ヴァンセンヌの森
シャルルVの城壁と要塞建築
年代:百年戦争がはじまった14世紀
様式:ゴシック様式、バロック様式
お近くの駅:地下鉄1号線 シャトー・ド・ヴァンセンヌ駅 (Château de Vincennes)
基礎データ
・p.33に「シャルルVの城壁」の写真が載っています。
「ルーヴル美術館の地下で発掘されたもの」 ふむふむ。
・ルーテーティア時代からパリは城壁=市壁で守られていた。
・カペー朝のフィリップ二世尊厳王の時代に都市防御態勢が整っていた。
・当時の城塞建築のことをフランス語で「シャトー」英語は「キャッスル」
・シャルル五世の読書室はルーヴル城塞の主塔の中にある。
・主塔はフラ語で「ドンジョン」、英語で「キープ」。日本語だといわば天守閣。
・塔---幕壁---「ドンジョン」---幕壁----塔
ドンジョンを真ん中に、いくつかの塔があり、
塔と塔の間の城壁を、「幕壁(まくへき)」という。
・「幕壁」はフランス語で「クールティーヌ」courtine英語で「カーテンウォール」curtain wall
・城門部分はとても強く作られ、そこだけでも小さな城塞みたいなので、
「シャトレ」=「小さな城塞」という。
<ヴァンセンヌ要塞についていろいろ>
・ヴァンセンヌ要塞(以下、ヴァン要塞)はパリからすこし離れ「中世のヴェルサイユ」とも呼ばれている。
・ヴァン要塞は中世要塞と17世紀バロック要塞の2つの側面がある。
・中世要塞の側面
― 方形のドンジョン
― 方形に取り囲む城壁
・今は城壁の上に屋根があり、回廊のようになっているが、当時はなかった。
・城壁の外は現在空堀だが、当時は外堀。
・ドンジョン
― 高さは約50メートル
― 6階建て
― シャルルVの寝室や図書館、衣裳部屋など
・城門(シャトレ)は左にある。2FにシャルルVの執務室があり、階段を登ると屋上。
※p.35にドンジョンの写真が載っています。かっこいいなあ。シャトレも素敵です。
<ヴァンセンヌ要塞にとシャルルVについて>
・1372末-1380にかけての工事
・ドンジョンを中心にほぼ正方形の城壁
・当初の城塞の20倍もの広さの城壁
・9本の塔と堀
・城門がもっとも充実のゴシック様式の装飾で飾られている。
・シャルルVはここで政治を行おうとしていた
・城塞付属の礼拝堂「サント・シャペル礼拝堂」もドンジョンの正面に作られた 1379-
・王宮付属の「サント・シャペル礼拝堂」と同じ単廊形式
・王宮付属の「サント・シャペル礼拝堂」は2階建て
城塞付属の「サント・シャペル礼拝堂」は1階建て
<その後>
・工事は
1405-1410 中断
16世紀半ば フランソワ1世が再開
1552- アンリ2世が
1559 完成
・ルイ14世もヴァンセンヌ要塞にたびたび逗留した
このセクションp32-39は、
とくに写真がすばらしいです。
シャルル5世の肖像もなんともいえません。
中島 智章 『パリ 名建築でめぐる旅 』河出書房新社 2008
に載っている、パリの代表建築を年代別に、ざっくりまとめています。
P.32-
ヴァンセンヌの森
シャルルVの城壁と要塞建築
年代:百年戦争がはじまった14世紀
様式:ゴシック様式、バロック様式
お近くの駅:地下鉄1号線 シャトー・ド・ヴァンセンヌ駅 (Château de Vincennes)
基礎データ
・p.33に「シャルルVの城壁」の写真が載っています。
「ルーヴル美術館の地下で発掘されたもの」 ふむふむ。
・ルーテーティア時代からパリは城壁=市壁で守られていた。
・カペー朝のフィリップ二世尊厳王の時代に都市防御態勢が整っていた。
・当時の城塞建築のことをフランス語で「シャトー」英語は「キャッスル」
・シャルル五世の読書室はルーヴル城塞の主塔の中にある。
・主塔はフラ語で「ドンジョン」、英語で「キープ」。日本語だといわば天守閣。
・塔---幕壁---「ドンジョン」---幕壁----塔
ドンジョンを真ん中に、いくつかの塔があり、
塔と塔の間の城壁を、「幕壁(まくへき)」という。
・「幕壁」はフランス語で「クールティーヌ」courtine英語で「カーテンウォール」curtain wall
・城門部分はとても強く作られ、そこだけでも小さな城塞みたいなので、
「シャトレ」=「小さな城塞」という。
<ヴァンセンヌ要塞についていろいろ>
・ヴァンセンヌ要塞(以下、ヴァン要塞)はパリからすこし離れ「中世のヴェルサイユ」とも呼ばれている。
・ヴァン要塞は中世要塞と17世紀バロック要塞の2つの側面がある。
・中世要塞の側面
― 方形のドンジョン
― 方形に取り囲む城壁
・今は城壁の上に屋根があり、回廊のようになっているが、当時はなかった。
・城壁の外は現在空堀だが、当時は外堀。
・ドンジョン
― 高さは約50メートル
― 6階建て
― シャルルVの寝室や図書館、衣裳部屋など
・城門(シャトレ)は左にある。2FにシャルルVの執務室があり、階段を登ると屋上。
※p.35にドンジョンの写真が載っています。かっこいいなあ。シャトレも素敵です。
<ヴァンセンヌ要塞にとシャルルVについて>
・1372末-1380にかけての工事
・ドンジョンを中心にほぼ正方形の城壁
・当初の城塞の20倍もの広さの城壁
・9本の塔と堀
・城門がもっとも充実のゴシック様式の装飾で飾られている。
・シャルルVはここで政治を行おうとしていた
・城塞付属の礼拝堂「サント・シャペル礼拝堂」もドンジョンの正面に作られた 1379-
・王宮付属の「サント・シャペル礼拝堂」と同じ単廊形式
・王宮付属の「サント・シャペル礼拝堂」は2階建て
城塞付属の「サント・シャペル礼拝堂」は1階建て
<その後>
・工事は
1405-1410 中断
16世紀半ば フランソワ1世が再開
1552- アンリ2世が
1559 完成
・ルイ14世もヴァンセンヌ要塞にたびたび逗留した
このセクションp32-39は、
とくに写真がすばらしいです。
シャルル5世の肖像もなんともいえません。
2011年12月23日金曜日
建築3 ND大聖堂
図書館で借りた、とても素敵な本。
中島 智章 『パリ 名建築でめぐる旅 』河出書房新社 2008
に載っている、パリの代表建築を年代別に、ざっくりまとめています。
p.25-
ゴシック建築 その2
ゴシックの代表建築は
パリのノートル・ダム大聖堂。
年代:12世紀後半から13世紀 1168ー(1345)
様式:ゴシック様式、ネオ・ゴシック様式
お近くの駅:地下鉄4号線 シテ駅/RER-B線、C線 サン・ミシェル=ノートルダム駅
基礎データ
・3大ゴシック聖堂;
12世紀後半から13世紀にかけて建設された、
シャルトル、ランス、アミアンのノートル・ダム大聖堂は3大ゴシック聖堂と呼ばれるゴシックの傑作。
・パリのノートル・ダム大聖堂(以下、パリのND大聖堂)はシテ島に。
・モーリス・ドゥ・シュリー司教と石工ピエール・ドゥ・モントルイユが中心に1168年に着工。
・主要な工事だけでも1250年まで続いた。
・最初の設計された部分が完成したのは1345年。
(1345年。覚えやすいですね。)
・正面のファサードの左右に2本の塔がある双頭形式で、これがフランスのゴシック聖堂のスタンダードになった。
・着工当時は、まだロマネスク様式が優勢で、正面に向かって右側のポルタイユ(主要入り口)のファザードに、ロマネスク的な痕跡があり、半円形を無理矢理ポインテッドアーチに改造したような跡がある。
・ヴォールト(石造りの天井)を下からみると×印に水平線がもう1本入っているデザインが連続している。
・これは六分ヴォールトと呼ばれ、初期ゴシック建築にはよくみられた。
・中期ゴシック建築ではより簡素な×印が重なる、四部ヴォールトが多い。
・したがって、パリのND大聖堂はロマネスク様式のテイストを一部に残した初期ゴシック建築の傑作といえる。
・パリのND大聖堂で重要なのは
ー1.3つの薔薇窓のステンドグラス
ー2.正面ファザードの3つのポルタイユの上のレリーフ
・薔薇窓はイル=ドゥ=フランス地方のゴシック建築の特徴のひとつにもなっている。
・パリのND大聖堂のステンドグラスの主題は、少し後に建設の始まった、シャルトルのND大聖堂のステンドグラスに影響を受けている。
・シャルトルのND大聖堂の薔薇窓の図像
ー北 聖母子を中心とした旧約聖書の予言者たち
ー南 新約聖書 キリスト受難や使徒たち
ー正面 新約聖書最後の「ヨハネ黙示録」最後の審判
つまり、キリストの、過去、現在、未来である。
・パリのND大聖堂の薔薇窓の図像
ー南 王座に着いたキリストを中心に天使たちなど
ー正面 最後の審判
つまり、キリストの、過去、未来、未来である。
・パリのND大聖堂、正面3つのポルタイユは
ー右 サンタンヌ(聖アンヌ)
彫刻はロマネスク的であり、
レリーフの形状もロマネスク的。
―中央 最後の審判
―左 聖母マリア 聖母被昇天 聖母戴冠
・でも、パリのND大聖堂の正面ファサードの彫刻は、革命後の破壊運動(ヴァンダリズム)に巻き込まれて、王の彫像と間違われて破壊されてしまった。
・今の美しい彫刻は、19世紀の修復建築家によるもの。
ちょっと理解ってくると、とても面白い。
ちいさなきっかけで世界が広がるなあ。
まさに、理転ならぬ。フランス語のフ転。
フ転の海。
。。。。
いや、ちょっと言ってみただけです。
中島 智章 『パリ 名建築でめぐる旅 』河出書房新社 2008
に載っている、パリの代表建築を年代別に、ざっくりまとめています。
p.25-
ゴシック建築 その2
ゴシックの代表建築は
パリのノートル・ダム大聖堂。
年代:12世紀後半から13世紀 1168ー(1345)
様式:ゴシック様式、ネオ・ゴシック様式
お近くの駅:地下鉄4号線 シテ駅/RER-B線、C線 サン・ミシェル=ノートルダム駅
基礎データ
・3大ゴシック聖堂;
12世紀後半から13世紀にかけて建設された、
シャルトル、ランス、アミアンのノートル・ダム大聖堂は3大ゴシック聖堂と呼ばれるゴシックの傑作。
・パリのノートル・ダム大聖堂(以下、パリのND大聖堂)はシテ島に。
・モーリス・ドゥ・シュリー司教と石工ピエール・ドゥ・モントルイユが中心に1168年に着工。
・主要な工事だけでも1250年まで続いた。
・最初の設計された部分が完成したのは1345年。
(1345年。覚えやすいですね。)
・正面のファサードの左右に2本の塔がある双頭形式で、これがフランスのゴシック聖堂のスタンダードになった。
・着工当時は、まだロマネスク様式が優勢で、正面に向かって右側のポルタイユ(主要入り口)のファザードに、ロマネスク的な痕跡があり、半円形を無理矢理ポインテッドアーチに改造したような跡がある。
・ヴォールト(石造りの天井)を下からみると×印に水平線がもう1本入っているデザインが連続している。
・これは六分ヴォールトと呼ばれ、初期ゴシック建築にはよくみられた。
・中期ゴシック建築ではより簡素な×印が重なる、四部ヴォールトが多い。
・したがって、パリのND大聖堂はロマネスク様式のテイストを一部に残した初期ゴシック建築の傑作といえる。
・パリのND大聖堂で重要なのは
ー1.3つの薔薇窓のステンドグラス
ー2.正面ファザードの3つのポルタイユの上のレリーフ
・薔薇窓はイル=ドゥ=フランス地方のゴシック建築の特徴のひとつにもなっている。
・パリのND大聖堂のステンドグラスの主題は、少し後に建設の始まった、シャルトルのND大聖堂のステンドグラスに影響を受けている。
・シャルトルのND大聖堂の薔薇窓の図像
ー北 聖母子を中心とした旧約聖書の予言者たち
ー南 新約聖書 キリスト受難や使徒たち
ー正面 新約聖書最後の「ヨハネ黙示録」最後の審判
つまり、キリストの、過去、現在、未来である。
・パリのND大聖堂の薔薇窓の図像
ー南 王座に着いたキリストを中心に天使たちなど
ー正面 最後の審判
つまり、キリストの、過去、未来、未来である。
・パリのND大聖堂、正面3つのポルタイユは
ー右 サンタンヌ(聖アンヌ)
彫刻はロマネスク的であり、
レリーフの形状もロマネスク的。
―中央 最後の審判
―左 聖母マリア 聖母被昇天 聖母戴冠
・でも、パリのND大聖堂の正面ファサードの彫刻は、革命後の破壊運動(ヴァンダリズム)に巻き込まれて、王の彫像と間違われて破壊されてしまった。
・今の美しい彫刻は、19世紀の修復建築家によるもの。
ちょっと理解ってくると、とても面白い。
ちいさなきっかけで世界が広がるなあ。
まさに、理転ならぬ。フランス語のフ転。
フ転の海。
。。。。
いや、ちょっと言ってみただけです。
2011年12月21日水曜日
建築3 ゴシック
図書館で借りた、とても素敵な本。
中島 智章 『パリ 名建築でめぐる旅 』河出書房新社 2008
に載っている、パリの代表建築を年代別に、ざっくりまとめています。
(この地域は神様に守られているせいか、グーグル散歩ができない設定になっているので、地図のみ。神秘的ですね)
ゴシック建築は奥深いので、2部に分けて、2夜連続でお届けします。
p.22-
ゴシック建築 その1
ゴシック建築のはじまりは、
サン・ドゥニ修道院 Basilique de Saint-Denis
様式:ゴシック様式
※きーわーもとして「フライングバットレス」という建築用語が出てきますが、これは本の挿し絵をご覧いただかないと、形や構造を想像するのはむずかしいと思います。
基礎データ
・ゴシック建築は、ルイ7世の時代、ルイ7世の側近であったサン・ドゥニ修道院の修道院長スゲリウス(←これはラテン語表記。現代フランス語ではシュジェ)のアイデアから生まれたと言われている。
・サン・ドゥニ修道院はパリ北郊にあり、歴代フランス王のお墓を守る重要な修道院。
・12世紀前半、この修道院の付属聖堂はロマネスク様式で建築が進められていたが、スゲリウスさん(以下スゲさん)は堂内をもっと「光」、「神の光」に満ちた空間にしたいと考えていた。
・ロマネスク様式は、石造り。石でヴォールト(石造りの天井)を作ると重いため、半円筒形にした時に横に開くチカラが生じる(この横開くチカラのことはストラトという)という問題があった。
・ロマネスク建築の特徴である1.ヴォールトを備えていること 2.ストラトのこと。この二つの問題で、ロマネスク建築の壁は厚く開口部は狭く、内部は暗かった。
・スゲさんの理想の「神の光」をもっと取り入れるには、壁を薄く開口部を広くする必要があった。
・そこで、ロマネスク建築とは違う構造が生み出された。
・1.ポンテッドアーチ(尖頭アーチ);二つの円弧を組み合わせたアーチのことで、それにより先が尖ったような形になる。
・2.フライング・バットレス(飛梁);ポンテッドアーチの採用により、石造りの天井にも複雑で細い石材装飾(リブ)が施され、上に高さも出たため、ストラト(横に開くチカラ)も弱められた。そのストラトを横から支えるのが、フライングバットレスである。
・石造りの重さとストラト問題を解決、そして広くなった開口部にステンドグラスを配して、堂内部を多様な光で満たしたのが、スゲさんのアイディアから生まれたゴシック建築である。
・1136年~1144年にかけて、サン・ドゥニ修道院付属聖堂のアプスと放射状祭室が作られて、これがゴシック建築のはじまりとなった。
・ゴシック建築の特徴は3つ。
ー1.ポンテッドアーチの採用
ー2.リブ・ヴォールトの適用
ー3.フライングバットレス構造
※「リブ・ヴォールト」については、
昨日のパリの建築2を読み直すと、ふむふむ。と納得です。
サン=ドニの身廊北西部、夕刻 wiki
しかし、素晴らしい本です。
初めからちゃんと読むと、ちゃんと理解できるようになっています。
感謝。
中島 智章 『パリ 名建築でめぐる旅 』河出書房新社 2008
に載っている、パリの代表建築を年代別に、ざっくりまとめています。
(この地域は神様に守られているせいか、グーグル散歩ができない設定になっているので、地図のみ。神秘的ですね)
ゴシック建築は奥深いので、2部に分けて、2夜連続でお届けします。
p.22-
ゴシック建築 その1
ゴシック建築のはじまりは、
サン・ドゥニ修道院 Basilique de Saint-Denis
様式:ゴシック様式
※きーわーもとして「フライングバットレス」という建築用語が出てきますが、これは本の挿し絵をご覧いただかないと、形や構造を想像するのはむずかしいと思います。
基礎データ
・ゴシック建築は、ルイ7世の時代、ルイ7世の側近であったサン・ドゥニ修道院の修道院長スゲリウス(←これはラテン語表記。現代フランス語ではシュジェ)のアイデアから生まれたと言われている。
・サン・ドゥニ修道院はパリ北郊にあり、歴代フランス王のお墓を守る重要な修道院。
・12世紀前半、この修道院の付属聖堂はロマネスク様式で建築が進められていたが、スゲリウスさん(以下スゲさん)は堂内をもっと「光」、「神の光」に満ちた空間にしたいと考えていた。
・ロマネスク様式は、石造り。石でヴォールト(石造りの天井)を作ると重いため、半円筒形にした時に横に開くチカラが生じる(この横開くチカラのことはストラトという)という問題があった。
・ロマネスク建築の特徴である1.ヴォールトを備えていること 2.ストラトのこと。この二つの問題で、ロマネスク建築の壁は厚く開口部は狭く、内部は暗かった。
・スゲさんの理想の「神の光」をもっと取り入れるには、壁を薄く開口部を広くする必要があった。
・そこで、ロマネスク建築とは違う構造が生み出された。
・1.ポンテッドアーチ(尖頭アーチ);二つの円弧を組み合わせたアーチのことで、それにより先が尖ったような形になる。
・2.フライング・バットレス(飛梁);ポンテッドアーチの採用により、石造りの天井にも複雑で細い石材装飾(リブ)が施され、上に高さも出たため、ストラト(横に開くチカラ)も弱められた。そのストラトを横から支えるのが、フライングバットレスである。
・石造りの重さとストラト問題を解決、そして広くなった開口部にステンドグラスを配して、堂内部を多様な光で満たしたのが、スゲさんのアイディアから生まれたゴシック建築である。
・1136年~1144年にかけて、サン・ドゥニ修道院付属聖堂のアプスと放射状祭室が作られて、これがゴシック建築のはじまりとなった。
・ゴシック建築の特徴は3つ。
ー1.ポンテッドアーチの採用
ー2.リブ・ヴォールトの適用
ー3.フライングバットレス構造
※「リブ・ヴォールト」については、
昨日のパリの建築2を読み直すと、ふむふむ。と納得です。
サン=ドニの身廊北西部、夕刻 wiki
しかし、素晴らしい本です。
初めからちゃんと読むと、ちゃんと理解できるようになっています。
感謝。
2011年12月20日火曜日
建築2 ロマネ
図書館で借りた、とても素敵な本。
中島 智章 『パリ 名建築でめぐる旅 』河出書房新社 2008
に載っている、パリの代表建築を年代別に、ざっくりまとめています。
その2 p.16-21
サン・ジェルマン・デ・プレのロマネスク建築
サン・ジェルマン・デ・プレ聖堂
年代:現存する聖堂は990-2021に建立されたもの
様式:ロマネスク様式
お近くの駅:6区 地下鉄4号線 サン・ジェルマン・デ・プレSaint-Germain-des-Prés駅
基礎データ
・六世紀以来の伝統ある、サン・ジェルマン・デ・プレ(野原の聖ゲルマヌス)修道院の付属聖堂。
・名前は576年にパリ司教聖ゲルマヌスがここに葬られたことに由来。
・以後、歴代フランク王(メロヴィング朝)の墓所となった。
・9世紀、4回もノルマン人によって破壊された。
・現存する聖堂は990-2021に建てられたもの。
・「1163年内陣が拡張され、教皇アレクサンデル3世によって献堂されている。同年、パリ司教モーリス・ドゥ・シェリーはノートル・ダム司教座聖堂の起工式を行っているが、パリ司教からの修道院の独立性を示すために、司教は献堂式には呼ばれなかった」p.17-18
・初期キリスト教時代のバジリカ式教会堂には天井がなく木造の小屋組みが丸見え状態のものが多いが、ロマネスク建築では、発展した石造建築駆使されて、石造天井が築かれた。
・石やレンガなどで強固につくられた天井のことを「ヴォールト」という。
・サン・ジェルマン・デ・プレ聖堂の内部は、側廊(そくろう)、身廊(しんろう)、側廊、の3廊方式。それぞれに、ヴォールトがかけられている。
・ヴォールトにはリブとよばれる骨組みのような細い石材が×印を描いている。このようなヴォールトをリヴ・ヴォールトという。これは、ロマネスク建築に多くみられるものではなく、後のゴシック建築でこの形式がとっているものが多い。
・柱の頭は複製で、本物はクリュニー博物館にある。
昨日の建築1で訪れた、クリュニー・ソルボンヌ駅が右下にありますね。
5区、6区に行くときは、クリュニー博物館は必見だなあ。
中島 智章 『パリ 名建築でめぐる旅 』河出書房新社 2008
に載っている、パリの代表建築を年代別に、ざっくりまとめています。
その2 p.16-21
サン・ジェルマン・デ・プレのロマネスク建築
サン・ジェルマン・デ・プレ聖堂
年代:現存する聖堂は990-2021に建立されたもの
様式:ロマネスク様式
お近くの駅:6区 地下鉄4号線 サン・ジェルマン・デ・プレSaint-Germain-des-Prés駅
基礎データ
・六世紀以来の伝統ある、サン・ジェルマン・デ・プレ(野原の聖ゲルマヌス)修道院の付属聖堂。
・名前は576年にパリ司教聖ゲルマヌスがここに葬られたことに由来。
・以後、歴代フランク王(メロヴィング朝)の墓所となった。
・9世紀、4回もノルマン人によって破壊された。
・現存する聖堂は990-2021に建てられたもの。
・「1163年内陣が拡張され、教皇アレクサンデル3世によって献堂されている。同年、パリ司教モーリス・ドゥ・シェリーはノートル・ダム司教座聖堂の起工式を行っているが、パリ司教からの修道院の独立性を示すために、司教は献堂式には呼ばれなかった」p.17-18
・初期キリスト教時代のバジリカ式教会堂には天井がなく木造の小屋組みが丸見え状態のものが多いが、ロマネスク建築では、発展した石造建築駆使されて、石造天井が築かれた。
・石やレンガなどで強固につくられた天井のことを「ヴォールト」という。
・サン・ジェルマン・デ・プレ聖堂の内部は、側廊(そくろう)、身廊(しんろう)、側廊、の3廊方式。それぞれに、ヴォールトがかけられている。
・ヴォールトにはリブとよばれる骨組みのような細い石材が×印を描いている。このようなヴォールトをリヴ・ヴォールトという。これは、ロマネスク建築に多くみられるものではなく、後のゴシック建築でこの形式がとっているものが多い。
・柱の頭は複製で、本物はクリュニー博物館にある。
昨日の建築1で訪れた、クリュニー・ソルボンヌ駅が右下にありますね。
5区、6区に行くときは、クリュニー博物館は必見だなあ。
2011年12月18日日曜日
パリの建築 1
K先生の「ベルヴィルは燃えてるぜ!」(だったかな?)10回目。
に載っていた地域を、グーグルマップでふれあえない街歩きしたいところです。
が、
図書館の返却期間が迫っていますので、
中島 智章 『パリ 名建築でめぐる旅 』河出書房新社 2008
に載っている、パリの代表建築を年代別に、ざっくりまとめておくことにします。
その1 p.10-15
『ガリア戦記』のパリ
国立中世博物館(クリュニー博物館)の大浴場跡
年代:200年ごろ
様式:古代ローマ建築、ゴシック様式、ルネサンス様式
お近くの駅:5区 地下鉄10号線 Cluny la Sorbonne クリュニー・ソルボンヌ
基礎データ
・パリの起源は古代ローマ共和制時代にまでさかのぼる。
・パリの古い名前はルーテーティア・パリーシオルム
↓
パリーシー人たちのルーテーティア(現地語で「水の住処」の意)
・もともとのルーテーティアはシテ島の上にあったが、
古代ローマの支配下にあるとき、セーヌ川左岸に都市が拡大。
・大浴場はその新市街に建てられた。その地域の一部は現在、
カルチェラタンと呼ばれている。
・古代ローマの公衆浴場はサウナみたいだった
-熱浴室(カルダリウム)
-温浴室(テピダリウム)
-冷浴室(フリギダリウム)
・博物館にあるのは、冷浴室(フリギダリウム)。
・博物館の隣りにある、クリュニー邸館は15世紀に建てられたもの
国立中世博物館(クリュニー博物館) 公式サイト
http://www.musee-moyenage.fr/
ふむふむ。確かに、シテ島から左岸に拡大して、カルチェラタンもありますね。
に載っていた地域を、グーグルマップでふれあえない街歩きしたいところです。
が、
図書館の返却期間が迫っていますので、
中島 智章 『パリ 名建築でめぐる旅 』河出書房新社 2008
に載っている、パリの代表建築を年代別に、ざっくりまとめておくことにします。
その1 p.10-15
『ガリア戦記』のパリ
国立中世博物館(クリュニー博物館)の大浴場跡
年代:200年ごろ
様式:古代ローマ建築、ゴシック様式、ルネサンス様式
お近くの駅:5区 地下鉄10号線 Cluny la Sorbonne クリュニー・ソルボンヌ
基礎データ
・パリの起源は古代ローマ共和制時代にまでさかのぼる。
・パリの古い名前はルーテーティア・パリーシオルム
↓
パリーシー人たちのルーテーティア(現地語で「水の住処」の意)
・もともとのルーテーティアはシテ島の上にあったが、
古代ローマの支配下にあるとき、セーヌ川左岸に都市が拡大。
・大浴場はその新市街に建てられた。その地域の一部は現在、
カルチェラタンと呼ばれている。
・古代ローマの公衆浴場はサウナみたいだった
-熱浴室(カルダリウム)
-温浴室(テピダリウム)
-冷浴室(フリギダリウム)
・博物館にあるのは、冷浴室(フリギダリウム)。
・博物館の隣りにある、クリュニー邸館は15世紀に建てられたもの
国立中世博物館(クリュニー博物館) 公式サイト
http://www.musee-moyenage.fr/
ふむふむ。確かに、シテ島から左岸に拡大して、カルチェラタンもありますね。
2011年12月17日土曜日
ネオ・バロック様式
『パリ 名建築でめぐる旅』中島 智章
河出書房新社 2008
ケベックでみた↑石積みの超可愛い教会は、
”第二帝政様式”だということはわかっていたが、
この本を読んで、”第二帝政様式”= ”ネオ・バロック様式" だと知る。
ネオ・バロック様式。
有名どころでは、
パレ・ガルニエPalais Garnier(旧オペラ座)
Le néobaroque est un style architectural né au milieu du xixe siècle qui reprend la modénature (proportions et dispositions des éléments d’ornement) de l'architecture baroque.
Son exemple le plus célèbre, en France, est l'opéra du palais Garnier de Paris. En 1923, le théâtre du Capitole de Toulouse est reconstruit et décoré par Paul Pujol dans ce style.
wikiにも書いてある。ふむふむ。
建築は奥が深いけれど、まずは…
「いびつな真珠」のバロックと、ネオ・バロックに絞って本を探そうっと。
2011年12月15日木曜日
『読書の首都パリ』
『読書の首都パリ』
著者:宮下志朗
みすず書房
四六判 タテ188mm×ヨコ128mm/344頁
定価 3,360円(本体3,200円)
ISBN 4-622-04660-1 C1095
1998年10月22日発行
という本を借りたら、
ゾラの『居酒屋』と
グット=ドール地区のことが
とても詳しく書いてあります。
ふむふむ。
(ただいま電車で熟読中)
ふふむふむふむ。
著者:宮下志朗
みすず書房
四六判 タテ188mm×ヨコ128mm/344頁
定価 3,360円(本体3,200円)
ISBN 4-622-04660-1 C1095
1998年10月22日発行
という本を借りたら、
ゾラの『居酒屋』と
グット=ドール地区のことが
とても詳しく書いてあります。
ふむふむ。
(ただいま電車で熟読中)
ふふむふむふむ。
2011年12月14日水曜日
エティエンヌと城壁
『エティエンヌ・マルセルのパリ革命』
白水社だ。しかも図書館にある。いえい。予約っと。
1358-1365
Enceinte de Charles V à partir du rempart de terre d'Etienne Marcel
Enceinte de Charles V, XIVe siècle
© Musée du Louvre / D. R.
Au milieu du XIVe siècle, Paris se développe largement à l'extérieur du mur de Philippe Auguste. Lors de la guerre de cent ans, il est à nouveau nécessaire de protéger la capitale du royaume. Etienne Marcel, prévôt des marchands, commence l'édification d'un rempart de terre (1356-1358) développé et continué par Charles V : la nouvelle enceinte ceinture les quartiers de la rive droite. Enfermé à l'intérieur de la ville, le Louvre perd son rôle protecteur.
これがそれかな?
ルーブル美術館のサイトに載ってるんですが
http://www.louvre.fr/histoire-du-louvre
Enceinte de Charles V
「シャルルⅤの城壁」と訳せるけれど、違うかな?
そうだよね。
パリ・ロジエ通り
K先生関連。
パリの「ロジエ通り」。
電車の中で、この↓田所先生のpdfを熟読中。
「パリ・ロジエ通り界隈」
http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/sosho/3/tadokoro.pdf
特に、"4 東ヨーロッパからの移民がつくる街" が面白いです。
「ロジエ通り最初のパン屋さん」の写真は何故だか胸が熱くなります。
パリの「ロジエ通り」。
電車の中で、この↓田所先生のpdfを熟読中。
「パリ・ロジエ通り界隈」
http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/sosho/3/tadokoro.pdf
特に、"4 東ヨーロッパからの移民がつくる街" が面白いです。
「ロジエ通り最初のパン屋さん」の写真は何故だか胸が熱くなります。
2011年12月13日火曜日
月食3
もっと、シンプルに! とは
仏作文での合言葉ですが、
月食une éclipse lunaireについて
シンプルでわかりやすい仏文。
ふむふむ
Lors d’une éclipse lunaire, la Terre se situe entre la Lune et le Soleil. Elle empêche donc le Soleil d’éclairer la Lune ! Dans ce cas, la Lune n’est plus blanche et lumineuse. Elle est en fait dans l’ombre de la Terre, un peu comme quand tu as le soleil dans le dos : ton ombre se projette sur le sol. Là, c’est un peu la même chose, l’ombre de la Terre se projette sur la Lune.
http://1jour1actu.com/planete/mercredi-ne-manque-pas-l’eclipse-lunaire/
仏作文での合言葉ですが、
月食une éclipse lunaireについて
シンプルでわかりやすい仏文。
ふむふむ
Lors d’une éclipse lunaire, la Terre se situe entre la Lune et le Soleil. Elle empêche donc le Soleil d’éclairer la Lune ! Dans ce cas, la Lune n’est plus blanche et lumineuse. Elle est en fait dans l’ombre de la Terre, un peu comme quand tu as le soleil dans le dos : ton ombre se projette sur le sol. Là, c’est un peu la même chose, l’ombre de la Terre se projette sur la Lune.
http://1jour1actu.com/planete/mercredi-ne-manque-pas-l’eclipse-lunaire/
2011年12月12日月曜日
プラトー地区の可視化
うーむ、微妙に忙しい今日この頃。
でも電車では、「ガリア戦記」についての本を読み始めました。
それがまた面白いです! その話はまた。
で、
今日は、
K先生が参加している本、
『混成世界のポルトラーノ 』に書いてあった、
「プラトー地区のラフォンテーヌ公園」の可視化。
深い意味はないのですが、ケベックとの距離も確認。ふむふむ。
そして、「モントリオール ジャズフェス」。
来年2012の出演者で、気になるアーティストを発見!
Gypsy Roma Urban Balkan Beats (GRUBB)
Jazzと何かと何かが融合していますねー。
面白いです。13歳から17歳。
大きい画面はこちら
http://www.youtube.com/watch?v=cltFKaEvRyA
以下こぴぺ。
Gypsy Roma Urban Balkan Beats (GRUBB)
Spectacle humanitaire sans précédent, GRUBB met en scène une vingtaine de jeunes Serbes de 13 à 17 ans. Une mélodie. Lente, envoûtante et légèrement arabisante. La voix d'un jeune garçon de notre siècle, mais qu'on aurait pu entendre, identique, il y a mille ans. Des percussions aux rythmes gitans. Une danse dont les origines se perdent dans la nuit des temps. Et puis le choc. Le 21e siècle. Le world beat. Le rap et le hip-hop, ancrés, issus des traditions roms millénaires. Du jamais vu musicalement, un tout nouveau genre de hip-hop qui se marie à la musique traditionnelle rom. Un décor fait de bric et de broc, d'objets usés et vieillis, un lieu de rencontre pour ce groupe de jeunes. Une image du monde des gitans qui s'écroule pour faire place à une réalité moderne et qui existe difficilement dans nos sociétés.
Mené par Serge Denoncourt, ce spectacle, qui a été créé pour soutenir la cause des jeunes Roms, a vu le jour grâce au travail bénévole, notamment, du danseur et chorégraphe Nico Archambault, du maître de la métamorphose italien Arturo Brachetti, des génies de la vidéo Olivier Goulet et Gabriel Coutu-Dumont, du costumier François Barbeau et de Françis Collard à la musique. Public et critiques ont été unanimes : un coup de coeur sur toute la ligne !
(http://www.montrealjazzfest.com/programmation/concert.aspx?id=10583)
でも電車では、「ガリア戦記」についての本を読み始めました。
それがまた面白いです! その話はまた。
で、
今日は、
K先生が参加している本、
『混成世界のポルトラーノ 』に書いてあった、
「プラトー地区のラフォンテーヌ公園」の可視化。
深い意味はないのですが、ケベックとの距離も確認。ふむふむ。
そして、「モントリオール ジャズフェス」。
来年2012の出演者で、気になるアーティストを発見!
Gypsy Roma Urban Balkan Beats (GRUBB)
Jazzと何かと何かが融合していますねー。
面白いです。13歳から17歳。
大きい画面はこちら
http://www.youtube.com/watch?v=cltFKaEvRyA
以下こぴぺ。
Gypsy Roma Urban Balkan Beats (GRUBB)
Spectacle humanitaire sans précédent, GRUBB met en scène une vingtaine de jeunes Serbes de 13 à 17 ans. Une mélodie. Lente, envoûtante et légèrement arabisante. La voix d'un jeune garçon de notre siècle, mais qu'on aurait pu entendre, identique, il y a mille ans. Des percussions aux rythmes gitans. Une danse dont les origines se perdent dans la nuit des temps. Et puis le choc. Le 21e siècle. Le world beat. Le rap et le hip-hop, ancrés, issus des traditions roms millénaires. Du jamais vu musicalement, un tout nouveau genre de hip-hop qui se marie à la musique traditionnelle rom. Un décor fait de bric et de broc, d'objets usés et vieillis, un lieu de rencontre pour ce groupe de jeunes. Une image du monde des gitans qui s'écroule pour faire place à une réalité moderne et qui existe difficilement dans nos sociétés.
Mené par Serge Denoncourt, ce spectacle, qui a été créé pour soutenir la cause des jeunes Roms, a vu le jour grâce au travail bénévole, notamment, du danseur et chorégraphe Nico Archambault, du maître de la métamorphose italien Arturo Brachetti, des génies de la vidéo Olivier Goulet et Gabriel Coutu-Dumont, du costumier François Barbeau et de Françis Collard à la musique. Public et critiques ont été unanimes : un coup de coeur sur toute la ligne !
(http://www.montrealjazzfest.com/programmation/concert.aspx?id=10583)
2011年12月11日日曜日
月食2
で、
月食は、「くいこむ」の「食」だったのですね。
蝕む(むしばむ)。
確かに虫が食べているような月でした。
で、(パート2) 笑
フランス語で「食」
Une éclipse の語源は、
éclips ラテン語
↑
ekleipsis ギリシア語
↑
ekleipein
↑
ec- + leipein棄てる
[仏和大]
Du latin eclipsis (« eclipse, ellipse »), issu du grec ancien έκλειψις, ékleipsis, dérivé de ἐκλείπω, ekleípō (« abandonner棄てる »), formé de ἐκ, ek (« hors de ») et λείπω, leipō (« laisser »). Les anciens croyaient que, lors des éclipses, les astres tombaient, pour un court instant, hors de la voûte céleste天空. Avant d’adopter le terme grec, les Latins utilisaient le terme de labor (« défaillance ») et le verbe de laborare (« travailler » mais dans le sens étymologique de « faire un malaise »).
[http://fr.wiktionary.org/wiki/%C3%A9clipse]
動詞は
éclipser
仏和大の例文がリアルなので引用しておきます。
・La Lune éclipse le Soleil.
月は太陽を隠して食を起こす
・Un nuage qui éclipse la Lune
月を遮る雲
・Pleine de vie, ell éclipse completement sa soeur.
女盛りの彼女のそばで、妹はかすんでしまっている
・Dans les journaux , ce desastre éclipse tous les autres articles.
紙面はこの惨事で持ちきりで、他の記事は隅に追いやられている
と、けっこう使える!的な動詞ですね。
代動 s'éclipser になると、
1.【天文】 天体が)食になる
2.姿を消す、隠れる、名声がかげる
・s'éclipser dans la brume
霧に包まれて見えなくなる
・s'éclipser de la scene politique
政治の檜舞台から遠ざかる
・Sa beaute s'éclipse devant ce beau garcon.
彼女の美貌もあの美少年の前では影が薄い
けっこう使える! なあ。
語源的なことについては、このサイトがとても詳しいです。
http://toxa.cocolog-nifty.com/phonetika/2009/07/post-d79d.html
感食、感謝!
月食
Éclipse lunaire
私の街から見た月食。
2011年12月10日
Une éclipse lunaire est une éclipse se produisant à chaque fois que la Lune se trouve dans l'ombre de la Terre.wiki