2012年10月4日木曜日
梅ちゃん:1.5 父・バザン
ヒマなわけじゃないんですよ。笑
知りたい事があれば、見に行く。
それが、インターネット上であっても、
一人旅をしたケベックの地であっても。気持ちは同じです。
梅ちゃんの復習のつづきで、
まずは、フランス語で映画批評。
ざっくり歴史
▼La Revue du cinéma
『ラ・ルヴュ・デュ・シネマ』(仏語:La Revue du cinéma、1928年 - 1931年/1946年 - 1950年)は、かつて存在したフランスの映画雑誌。ヌーヴェルヴァーグを生んだ雑誌『カイエ・デュ・シネマ』の前身となった雑誌として知られる
La Revue du cinéma, revue française de cinéma créée par Jean-Georges Auriol, publiée de 1928 à 1932, puis de 1946 à 1949
▼Les Cahiers du cinéma
『カイエ・デュ・シネマ』(Les Cahiers du cinéma)は、フランスの映画批評誌である。1951年4月、バザン、ヴァルクローズ、ジョゼフ=マリー・ロ・デュカ(ジュゼッペ・マリア・ロ・デュカ)らによって創刊。ロメール、リヴェット、ゴダール、クロード・シャブロル、トリュフォーら、後にヌーヴェルヴァーグの映画作家となる若者たちが批評家として活躍していた。
初代編集長アンドレ・バザン提唱の「作家主義」、および同誌の執筆者からヌーヴェルヴァーグの映画作家たちを生んだことで知られる。
初代編集長アンドレ・バザン
André Bazin on the cover of the third volume of the original edition of Qu'est-ce que le cinéma?
アンドレ・バザン(André Bazin、1918年4月18日 アンジェ - 1958年11月11日 ノジャン=シュル=マルヌ)は、戦後フランスで影響力の非常に大きかった映画批評家である。「ヌーヴェルヴァーグの精神的父親」と称されることもある。
André Bazin (18 avril 1918, Angers – 11 novembre 1958, Nogent-sur-Marne) est un critique français de cinéma, époux de Janine Bazin.
『レクラン・フランセ L'écran français』、『パリジャン・リベレ Le Parisien Libéré』、『エスプリ』といった雑誌に、映画に関する論文を発表。また、『ラジオ=シネマ=テレヴィジオン Radio-Cinéma-Télévision』誌(後の『テレラマ Télérama』誌)の創刊にも参加。この頃、少年鑑別所を出た10代のフランソワ・トリュフォーを引き取って面倒をみていた。家族に恵まれなかったトリュフォーにとって、バザンは精神的父親であり、庇護者のような存在となってゆく。
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