建築家同士の関係を簡単に復習すると、
昨日の、8前編で登場した
ジャック・ルメルシエ(1585ー1654)は、
当時の巨匠、フランソワ・マンサール(1598ー1666)より
ひとまわり年上です。
フランソワ・マンサール
François Mansart, né le 23 janvier 1598 à Paris, au faubourg Saint-Victor où il est mort le 23 septembre 1666, est un architecte français. Il est considéré comme le principal précurseur de l’architecture classique en France.wiki
でも、建築様式としては、
ルメシルエ:
ローマ・バロックの影響を多少は受けている。
フランソワ・マンサール:
端正な後期フランスルネサンスの完成形。
(「マンサード屋根」を広めた巨匠。いずれもう少し詳しく調べたい人物です。)
マンサールの設計したものをメルシエが引き継いで完成させた、ヴァル・ドゥ・グラース修道院聖堂という2人のコラボ作品もあります。
そして、その巨匠・ランソワ・マンサールは、
今日登場する、
ジュール・アルドゥアン=マンサール(1646ー1708)の大伯父にあたるのです。
ジュール・アルドゥアン=マンサール(Jules Hardouin-Mansart,1646年4月16日 - 1708年5月11日)はフランスの建築家。フランソワ・マンサールの兄弟の孫。ルイ14世の主席建築家になった人物である。フランスの後期バロック建築の第一人者の一人であり、ルイ14世の権力と栄光を表す数々の建築物を手がけた。wiki(どことなく似ていますよね。親戚。)
このアルドゥアン=マンサールは、
ヴェルサイユ宮殿「鏡の間」(1678年~)
の建築家として抜擢され、以後ヴェルサイユの建築を手がけます。
ヴェルサイユはざっくり語るには、大物なので・・・
アルドゥアン=マンサールの作品として気になるのは、
ベルサイユの鏡の間と同時期に建設された、
パリの廃兵院(L’hôtel national des Invalides)(1674)の付属教会です。
廃兵院そのもののデザインは、
リベラル・ブリューアン(Liberal Bruant)が設計してますが、
教会堂に隣接した
「サン・ルイ礼拝堂」(1677ー1707)の主要部分は
アルドゥアン=マンサールが手がけています。
フランスバロック建築の代表例といわれている、
「サン・ルイ礼拝堂」
その特徴をみてみると、
○クーポラ
△コリント式
△ドリス式
○クーポラは2層構造
=○金色のクーポラ
=○コンポジット式の双子柱で装飾
クーポラは中からみると3層構造
△第2層 コリント式
△第1層 ドリス式
この1、2層はルネサンス建築ですが、
クーポラがまさにバロック様式なのです。
場所はこちら。
7区ですね。
時代の流れとしておさらいすると、
・「時計のパヴィリオン」(1624、25ー) ルメルシエ
・「CD4N」(1662ー1667、8) ル・ヴォー
・「サン・ルイ礼拝堂」(1677ー1707)アルドゥアン=マンサール
そして、この、
アルドゥアン=マンサールの弟子たちが、後にロココ様式の代表建築家になるわけです。
ロココとは、
18世紀のフランス室内装飾に
後期バロックが表現されたもの。
ふむふむ。
次回はロココを!
今回のところは、『パリ 名建築でめぐる旅 』だとp.64,p.74-,p94,
+wikiの情報と写真などをざっくりまとめています。