フランスのマスキングテープのwebサイト。
http://paquet-cadeau.maskingtape.fr/
ロゴのセンス↓も最高ですが、
この小さなアイコンへのハイ・テクニック!
いやあ、仕事に愛を感じます。
感受、感謝。
2011年12月8日木曜日
ランボー初心者2
Comment te dire adieu ? - Françoise Hardy
「さよならを教えて」 フランソワーズ・アルディ
で、
ランボーのAdieuという詩は、K先生のblogにたびたび登場する。
引用されることが多いのが、
Il faut être absolument moderne.
------------------------------------------------
(ただ同時に、Il faut être absolument moderne.
「絶対に現代的でなければならない(ランボー)」
っていう気持ちは、変わらないんですけどね。)
[2010年5月27日木曜日 歴史とエムリン]
--------
こうなったら最後は、ランボーの引用で終わりましょうか。『フラ語ボキャブラ』という本の中でも、「座右の銘」候補としてお勧めしたものです;
Il faut être absolument moderne. 絶対に現代的でなければならない。
いいでしょ?
[2008年6月14日土曜日 I want to rock !]
--------
様式を壊し続けることが、モダンの本質であり、
ポップスはモダンであるべきだと考えているのです。
これって、ないものねだりでしょうか?
Il faut être absolument moderne.
絶対にモダンでなければならない。
とはランボーの一節ですが、
それこそが、たとえばバッハの深さは望めないポップスの、
ポップスだけが持つ価値だという気がしています。
[2010年11月2日火曜日 moderne]
------------------------------------------------
前後の文章を読まないと唐突だが、つまり、「いいでしょ?」っていうこと。
で、
さらに面白いなあと思うのは、
この、Il faut être absolument moderne. の日本語訳。
いま、手許にあるいくつかの本だとmoderneの主語が人になる。
「絶対に近代人であることが肝要だ」 秋山晴男 昭和37 世界文学大系43 筑摩
「断じて近代人でなければならない」 小林秀雄 1938 岩波 65版2002
「絶対に現代的でなければならない」 宇佐美斉 1996 ちくま文庫 9版2007
宇佐美の注にはこうある。「絶対に現代的でなければならない」 Il faut être absolument moderne.諸説あるが、ここは「白熱の時間」である現在に強く生きることこそが、時間性の超越につながる、という文脈で理解したい。
理解はできるが、初心者にはもやもやする。笑
人間という小さな枠の概念じゃないから、みんなの心にひっかかっているのでなないかと。←初心者
そして、詩の翻訳は人それぞれの好みもあると思うが、
幼い頃、いちばん最初に読んだものにかなりの影響を受けると思う。
フランス語で読めるようになった今でも哀しいけどそう思う。
K先生の場合はキャッチボール形式だ。
つまり、「いいでしょ?」っていうこと。
2011年12月7日水曜日
ランボー初心者
すべてにおいて初心者だ。笑
でもどうして、
「惜しむのか」
「惜しまなくてはならないのか」
だと、
意味がだいぶ違ってくるなあ。
Mais pourquoi regretter un éternel soleil
なんの話かというと、
K先生の、
L'automne déjà ! ―Mais pourquoi regretter un éternel soleil,
si nous sommes engagés à la découverte de la clarté divine,
もう秋! ー でもどうして永遠の太陽を惜しまなくてはならないのか、
ぼくらは神聖な光の発見を志す身であるのに、
(2011年12月6日火曜日 L'automne déjà ! http://tomo-524.blogspot.com/2011/12/lautomne-deja.html)
でも、どうして、
「惜しむのか」
「惜しまなくてはならないのか」
まあ、答えは、ないのだけれど、
この詩のタイトルは Adieu
ぼくらとは、ランボーとヴェルレーヌ。
あと、読者もふくめて、ぼくら。
このあと出てくる、
Et allons.
Mais pas une main amie ! et ou puiser le secours ?
このune main amie がヴェルレーヌの手であるならば※、
1873年、ヴェルレーヌと別れて、さあ行こう、でもちょっと苦しい。
という感じかな。←初心者
だから、
ぼくら2人(ランボーとヴェルレーヌ)のことや、読者全般を含むと、
ぼくらは、「惜しまなくてはならないのか」 と考えられるし。
ヴェルレーヌや、永遠を惜しんでいる読者に対してだったら、
キミは、どうして、「惜しむのか」と。
まあ、個人的には、
光を愛する気持ちを惜しむことないんじゃない? 冬は怖いけどさ
って言ってるように感じる。
後半、
Cependant c'est la veille. Recevons tous les influx de vigueur et de tendresse réelle. Et à l'aurore, armés d'une ardente patience, nous entrerons aux splendides villes.
ぼくらはまだ前夜で、夜が明けたら、町へ出ようって。
そう、Il faut être absolument moderne.
※(世界文学大系 筑摩書房 43 p.290
注1 友の手 「ヴェルレーヌの手。ブラッセルのピストル事件は、一時文学への訣別を決意させたほど強い衝撃を与えたことが察せられる」)
詩の全体の構成としては、
僕ら → 僕 → 友の手 → 僕 → 僕ら →友の手 →僕
とかなり心が揺れているのがわかりますね。ふむふむ。


